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花の下にて、春死なん あとの祭り書き

新作。また季節ものか!
と、いうお声が聞こえてきそうですがw
今回は「ボイコネにさくらを咲かせよう!」という趣旨で
女性作家5名が企画いたしました「#ボイさく」というイベントの
参加台本でございます。
「さくら」をテーマの一人読み台本を
書いたり、読んだり、聞いたりしましょう!
ということで、鹿も一本書かせていただきました。

「花の下にて、春死なん」

おりしも、関東はソメイヨシノ満開。
気づけば鹿は、今年は
色んな場所で色んな桜を色んな天気で愛でたなぁ。
ふふふ。愛でることができることに感謝。

桜というのは不思議な樹だな、とつくづく思います
もはや「樹」というのも憚られる
「桜」、という存在感。

今回作中に引用した歌は2つ

西行法師の
「願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」

もう一つは
在原業平(ありわらのなりひら)
「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし 」

西行の歌は、かなりキャッチ―なので
ご存じの方も多いかと思います。

こんな美しい想いが口をついて出るほど
千年の昔から桜というものは心を震わせる存在だったわけで。

子供のころ、鹿の家から通っていた小学校までは川沿いの一本道で
それはそれは見事な桜の植えられた土手沿いの歩道で。
春夏秋冬、その桜並木を通り抜けて通学していました。

葉桜の夏は毛虫が出たり、紅葉はする間もなく葉が落ちて
冬はただの枯れ木の道で
春、遠目からでもほんのり赤味を増してきて。

そして、ほんの3日ほどの、
空間全てを埋め尽くす満開。

そこから花びらは散り、川に筏を作り、春の強風に舞い
ときには季節外れの雪や、しとしとと降る冷たい雨に
震える花を、いつもそこにある季節のものとして
子供時代を過ごしました。

今はその土手もなくなってしまい
あの風景は記憶の中にしか、ないのですが。
鹿の中では桜はいつもそこにあって
面倒だったり、気にもかけない日々の方が多いのに
とてつもない美しい時間を、ほんの数日だけくれる
だから好きでいられる。そんなものだったかな。

今回の「花の下にて 春死なん」を
先読みしてもらった人には「今回かたくない?」と
言われたりもして
そりゃあ、もしかしたら、今の話から
「桜を愛でるのは、恋を愛でるのによく似ている」なんて
いつもの鹿っぽく書いていこうかなとも思ったのだけれども。

あの子供のころの、今は記憶の中にしかない光景を
鹿が文字にして、みなさんが音にしてくれたら
もう一度、見れるだろうか、華やかに。

西行や業平のように千年のちにも残るとは
到底思ってもないのだけどね
なんて、気持ちで、美しい日本語で、美しい調子で
書いたらこうなった、そんなお話です。
あーそんな思いが強くて、かたくなったのかなー笑

しょうがない
「桜を愛でるのは、恋を愛でるのによく似ている」なんて
いつもの鹿っぽく、書くか?

笑笑

桜が散り切る前に書きあがったらいいのですが。
うーんどうかなぁ…

ではまた。

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