ポル・ウナ・カベーサ　～マスクリーノ

2021年5月21日 19:12

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https://note.com/autumn_deer/n/nb34ec3d760a7
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填　　：しん
利英　：としひで

ポル・ウナ・カベーサ　～マスクリーノ

填　　：葬儀用の、シンプルな黒いネクタイを雑に投げ棄てた彼は
　　　　スーツのジャケットを脱ぎもせず
　　　　白いシャツのボタンを外していく。
　
　　　　端末をスピーカーに繋いで曲を選ぶ。
　
　　　　バイオリン。
　　　　僕でも知っている有名なタンゴ曲。
　
　　　　いつもより広めの眺めのいい部屋で
　　　　僕に背を向けて窓際に立ち
　　　　ソファにジャケットごとシャツを脱いで投げる。
　　　　喪服の黒いスーツだと思ったそれは
　　　　よくみると微かな光沢がある生地で
　　　　動くたびにしっとりとした布の波紋が浮かんでは消える
　
　　　　鍛えられた背中があらわになり、
　　　　ハの字に影を落とす肩甲骨の隆起は
　　　　中心のラインと合わさって、下から上へむかう強い矢印となって、
　　　　僕は、暫し、魅惚れる。
　
　　　　艶やかなチャコールグレーのシャツに腕を通し、
　　　　丁寧にボタンを止め、
　　　　織り生地の黒いネクタイをキュッとしめていく。
　
　　　　いつも会うわけじゃない。
　　　　たまに連絡がきて、たまに逢って、
　　　　たまの時間を共にする男性(ひと)。
　　　　彼との時間は、僕は嫌いじゃない。
　　
利英　：「どうだ？」
填　　：振り向いてゆっくりと僕の方に歩きながら
　　　　肩の高さに差し出した彼の右手を左手で取る。
　　　　右手を厚みのある背中に回し軽く引き寄せる。
　　　　彼の左手がふわりと僕の右肩に巻き付く。
　
利英　：「できるだろう？」
填　　：「・・・頑張るけど」

　　　　僕は大きく息を吐くと
　　　　優雅なバイオリンに合わせてタンゴウォークを踏む。
　　　　美しいゆるやかな諧調で。

填　　：「間違えそうだ」
利英　：「タンゴに間違いなんてないんだよ。
　　　　人生とは違って、とても単純なのが素敵なところだろう？
　　　　もし間違ったって、足がもつれたって、ただ踊り続ければいい」
填　　：「それ、アル・パシーノの台詞じゃん」
利英　：「そうだな、ふふっ」
填　　：「人生には・・・間違いはあるのかな」
利英　：「間違いしかない人生でも
　　　　それを正解と思って過ごしていくのがいいのかな」
填　　：「喪服と思えば、いくら黒でもこのネクタイはだめでしょ、
　　　　まさかそれも間違いとか言わないよね」
利英　：「この服で、この曲で、見送りたかったんだ」

填　　：聞けない「誰を？」を飲み込んで、ナチュラルツイストターン。

利英　：「タンゴではな、コモンセンターっていって
　　　　二人の軸を合わせて動くんだよ」
填　　：「それもアル・パシーノ？」
利英　：「これは・・・違う・・・」

填　　：顔を動かさず、眼を合わせないまま繰り返すステップと言葉

填　　：「二人の軸を、」
利英　：「そう、合わせないとダメなんだ」
填　　：「・・・・・・」

填　　：曲調が変わって短調に差しかかるバイオリン。
　　　　問い詰めるような低いピアノに合わせて
　　　　激しく動作を止める、プログレッシブリンク。

　　　　「・・・だから呼んだの？」
利英　：「・・・え？」
填　　：「誰かをさ、タンゴを一緒に踊った誰かを偲ぶために
　　　　こんないい部屋予約してさ
　　　　一緒に踊る人が必要だから、僕をここに呼んだの？」
利英　：「でも、踊ってくれてるじゃないか？
　　　　填、上手くなったな」
填　　：「・・・どんな、人だったのさ」
利英　：「え？」
填　　：「利英さんにタンゴを教えた人。
　　　　タンゴで見送ろうなんて思うくらい二人の軸が合っていた人。
　　　　どんな人だったかくらい聞かせてくれてもいいじゃない。
　　　　そうだな、この曲が終わるまででいいから」

利英　：「そうだな・・・よくある話さ。
　　　　会社の上司で、大人で、俺はクソガキでさ」
填　　：「ほんとによくある話だ、どうせノンケの既婚者とかだろ」
利英　：「案の定な、ふふふ
　　　　しょうがないじゃないか、言っただろ？クソガキだったって」
填　　：「利英さんにもクソガキの頃があったのか」
利英　：「失礼な、そりゃかわいいクソガキだったぞ」
填　　：「それがこんないやらしいスーツ着て葬式行く、
　　　　黒豹みたいな男になるとは
　　　　その人も思わなかったんじゃない？」
利英　：「一生懸命背伸びして合わせてたんだ、認めて欲しくて」
填　　：「いけ好かないおっさんだなぁ」
利英　：「クソガキだからな、そういうのが大人で格好よく見えたんだよ。
　　　　・・・惹かれて、、敷かれて、、抱かれたら
　　　　男として認めてもらえたって思えるのかなって、
　　　　思ってた」
填　　：「・・・」
　
　　　　いつの間にか曲は優雅なバイオリンの旋律に戻っていた。

利英　：「でも絆（ほだ）されてくれなかったなぁ。
　　　　据え膳も据え膳だったけど、
　　　　まず俺が自分をそういう目で見ているなんて
　　　　思いもしなかったんだろうな。
　
　　　　・・・もともとタンゴには
　　　　男性同士が練習してきた歴史があるんだ。
　　　　アルゼンチンは移民の国で、当時は女性がとても少なくて。
　　　　女性と踊るためには、上手くなければならなかったから、
　　　　男同士で練習をして腕を磨いていたという説でね。
　　　　男性はリード、女性はフォローと呼ばれるが、
　　　　上手い方がフォロー役をやる。
　　　　リードする方が上手くならないといけないからな]
填　　：「だから・・・僕がリードを」
利英　：「そういう事が上手な人だった。
　　　　別に彼はタンゴを踊れたわけじゃないけど。
　　　　彼にフォローされながらリードしようと
　　　　一生懸命だったんだよ、クソガキは。
　　　　距離なんかないくらい身体を寄せて、二人の軸を合わせて
　　　　目線は合わせないで、頬と頬をつけて、同じ方向を見て」
　
填　　：いったい彼はどこを見て踊ってるんだろう
　　　　今、この瞬間、身体の軸は僕に合わせていても、
　　　　凛と見すえた目線の先には誰がいるんだろう
　　　　そんなことに気を取られて、リードする足元が狂った。

利英　：「でも、俺はっっっっーーーーうわっっ！！！」
　
填　　：バランスを崩した僕を庇って、慌てて支えた彼まで重心を失った。
　　　　かろうじて僕が上に乗った体勢で床に転がる。
　
　　　　衝撃で端末がスピーカーから外れ
　　　　流行りの洋楽に曲は切り替わり
　　　　脳天気な音が床でシャカシャカと流れた。
　
利英　：「あー！死んじゃうならなぁ
　　　　一服盛ってでも押し倒しておけばよかったか」
填　　：「物騒なこと言わないの、それに、もう曲終わったよ
　　　　だから、その話は終わり」
　
利英　：「・・・なぁ」
填　　：「ん？」
利英　：「ここで押し倒してこいよ」
填　　：「いやだよ」
利英　：「じゃあ押し倒すぞ？ん？」

填　　：寄せてくる彼の顔を押し戻して顔をそらす。

填　　：「だめ。
　　　　アル・パシーノのこと考えてる人とそんなことしたくない」
利英　：「追い出すんだよ、アル・パシーノを」
填　　：「いやだ」
利英　：「聞かせてって言ったくせに」
填　　：「あんなありふれた、つまらない話だと思わなかったからさ」

　　　　彼が僕の顎を片手で抑えてやっと目が合う

利英　：「もう、拗ねるなよ？なぁ、さっきの曲な」
填　　：「ポル・ウナ・カベーサ？」
利英　：「そう、邦題、知ってるか？」
填　　：「・・・知らない。それに、拗ねてない」
利英　：「『首の差』って、いうんだ。
　　　　競馬でいうだろう？
　　　　クビの差で勝ったとか負けたとかって、アレだ」
填　　：「なにそれ。
　　　　・・・はいはい、
　　　　クビの差で僕はアル・パシーノに勝てないとかそういうこと？
　　　　勝つも何もどうせ最初から、
　　　　僕のことなんか呼んだら来る暇つぶしくらいにしか
　　　　思ってないでしょ」
利英　：「違うって。
　　　　俺はクビの差で幸せを無くした、みたいな歌詞なんだ。
　　　　『もし彼女が俺を忘れるなら、
　　　　たとえ人生を千回やり直しても
　　　　何のために生きてるのか
　　　　わからないじゃないか』
　　　　って感じの」
填　　：「意味わかんないね、それがなんだって・・・」

利英　：「俺が彼の事、忘れたから、死んじゃったのかなってさ」
填　　：「は？」　
利英　：「もう離れてずいぶん経っていて、彼の事は忘れてたんだ。
　　　　入院したって聞いても『そうか』って思って連絡もしなかった。
　　　　亡くなったって聞いて、当時使っていた古いウェブメールみたら、
　　　　メールが来てた」
填　　：「なんて？」
利英　：「俺の事思い出しもしないで、元気にしてるかって。
　　　　よく、人は忘れられた時に二度目の死が来るって言うけど、
　　　　俺の場合は先にそっちが来ちゃったな。
　　　　お前は大丈夫。
　　　　俺はお前の事忘れないまま死ぬから人生を謳歌しろって。」
填　　：「なんだそれ、最後までいけ好かないおっさん」
利英　：「だから、俺が彼の事、
　　　　忘れたから、死んじゃったのかなって思ったんだよ」

填　　：「はぁ・・・そんなわけないでしょ。
　　　　そんな事考えて、こんな部屋とって、
　　　　そんな服で、僕を呼びだして、忘れてないじゃん。
　　　　とりあえず今日はさぁ、
　　　　大事な、、大事だった人を亡くしたんだから、
　　　　少しは優しくしてあげる。ほら座って。ネクタイほどくよ」
利英　：「嫌いになったわけじゃないけど。
　　　　『今』の人と今の人以外しかフォルダがないんだよ」
填　　：「そうやって、愚図る利英さんかわいいけどね、
　　　　あーあ、どうせさぁ、僕の事もそうやって忘れちゃうんだから」
利英　：「・・・優しくないなぁ」
填　　：「そりゃやっぱり、昔の男のかっこよかった話を聞かされて、
　　　　楽しい男はいないです」
利英　：「・・・ごめん」
填　　：「精一杯、かっこつけて聞いてるけどね。
　　　　面白くない程度には面白くない」
利英　：「・・・ごめん」
填　　：「もういいよ、格好いいスーツの利英さん見れたし。
　　　　覚えたてのタンゴも楽しかったし」
　
利英　：「俺もいつか、填が俺の事を忘れたらどう思うかなって、
　　　　あいつが俺に思ったように、
　　　　俺も填にそう思うのかなって思ったら、
　　　　切なくなってさ。
　　　　俺の方が早く死ぬから忘れられちゃうな、きっと」
填　　：「こんな何するかわからない人、一生忘れない自信あるけどね。
　　　　・・・ていうか俺が思ってたより
　　　　・・・利英さん、俺の事好きなの？ねえ？」
利英　：「好きっていうか、気に入ってるよ？
　　　　間違った人生千回分より、お前といる一日の方が楽しいしな」
填　　：「一日・・・ね。うん、いいよ、それで。」

　　　　俺も、自分で思っていたより
　　　　この人の事が好きになってるのかもしれないな。
　
　　　　広い肩に唇を付けて
　　　　彼の髪に指を埋めていく。
　
　　　　彼が僕を忘れてしまってもいい。
　
　　　　そいつが、千回人生やり直しても意味が無いって言うなら、
　　　　僕は百万回目に貴男に会ってしまった猫でいい。
　
　　　　黒豹みたいな貴男は、僕の前ではかわいい白猫で、
　　　　多分僕より先に死んでしまうんだろう。
　　　　そうしたら僕は、
　　　　貴男の傍で泣いて泣いて二度と生き返らない猫であろう。
　

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