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花の下にて、春死なん

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花の下にて、春死なん

桜花爛漫、桜梅桃李(おうからんまん、おうばいとうり)
言葉たちは騒がしく、
春が来るぞと吹聴する。

零(こぼ)れ桜の花吹雪、やがて流るる花筏(はないかだ)
ほのかに煙(けぶ)る花霞(はながすみ)
宵の桃色花あかり

さて、今年も一人で花見をしよう。
酒もなく、唄もなく
ただこの薄紅色のいきものと対峙する。

ざぁと風が吹き、しっとりと生温い花吹雪を頬に受けると
不穏な湿度と不躾な儚さ、清廉な妖艶が相まい
そわそわと、ざわざわと、ぞわぞわと
挙句、くらくらと身体を離れる浮遊感にみまわれて
いやがおうにも誘惑してくる狂気。
それが正しい気すらしてしまう始末。

淑やかに咲き乱れ
艶めかしくも散り狂いながら
永遠と刹那は背中合わせでくるくる廻る

「世の中に たえて桜の なかりせば 
 春の心は のどけからまし」

のどかに春の陽にまどろんでいたいものを
どうにも、こんな桜など、咲くから心が騒ぐのだ
そう思いながら抗えず
魅入られるのか、魅入るのか
果てにとうとうとり憑かれるのか
選ぶことすら許されない。

古来、桜の名をもつ処は、死者の霊屋(たまや)であったという。
春に、亡き魂を咲かせてはひとひらにのせ
はらはらと散り敷くさまは
この世のものとは思えぬ幽玄明媚だったのか。

「願わくば 花の下にて 春死なむ 
 その如月の 望月の頃」

春の一弾指(いちたんじ)の騒めきに
人の心は、魅かれ誘われ、惑わされて
舞い散る花びらの吹雪の中で、なぜか死を想う。

花の下にて、春死なん、と

咲き乱れるのどかな春の日に、かの人に手を取られ、
まどろむように見おくってもらうのも麗しいが

誰も私を忘れてしまって、一人。
散り狂う花びらに埋もれる方がふさわしいだろう。
覆いつくされ、枯れて汚い雑物になったころには
すっかり地に還ってしまえばいい

いつしかの春に、
私の迷える魂を吸い上げた花は潔く散り、
そのほんのひとひらが
ふわりと
あれ?そういえば誰だったかと心に張り付けばいい

しかしまた

果たしてそれは、歌に詠むほど狂おしく
願えど叶わぬ

書くが如く、この花の如く

人の現世(うつしよ)の夢は儚きと



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以下、作中の歌について

西行法師
『 願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃 』

意味:願うことならば2月15日(旧暦)の満月の頃に満開の桜の下で死にたいものだ

在原業平(ありわらのなりひら)
『 世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし 』

意味:世の中に桜というものがなかったならば、春になっても桜の花の咲く楽しみ散る悲しさなど心騒がすこともなく、のどかな気持ちでいられるでしょう。
うららかな春という季節――しかし、「春の心」は決してのどかではあり得ない。散り急ぐ桜の花に、心は常に急かされるから。桜など、いっそなければ…。歓楽に耽る中、<いまこの時>の過ぎ去る悲しみが、人々の胸を締めつける
しかし、この歌の返歌には、   
「散ればこそいとど桜はめでたけれ うき世になにか久しかるべき」
(読み人知らず)
散るからこそ桜は素晴らしいのだ。この憂いの多い世の中に何が久しくあるだろうか。桜を愛でるのも、浮世に咲き続けるのも、永遠なものはない、というのも、またその通りである。



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