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ポル・ウナ・カベーサ ~カンデリージャ

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https://note.com/autumn_deer/n/nb34ec3d760a7
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蛍:けい
填:しん


ポル・ウナ・カベーサ ~ ガルデーニア


蛍:あの日、彼女を迎えに来た男を
  私は、親の仇並みに目に焼き付けた。
  そこで引き返せればよかったのに。

  仕事の帰り道、目の端にふわりと
  恵利子さんの姿を見つけた気がして足を止める。
  どんな人混みの中でも私の目は彼女を拾ってしまう。
  隣りにいたのは、あの男だった。
  立ちどまった私の気配で、こちらに視線をむけた男と目が合った。
  男は、一瞥で私を上から下まで確認してから向き直り
  彼女の頬に軽く唇をつけタクシーに乗せる。

填:「じゃあね、また、連絡待ってる」

蛍:また一緒に過ごしていたんだ。
  私がどんなに願っても手に入らない時間を
  あの男は簡単に手にしている。

  車が角を曲がるのを見送って振り返ると
  まだその場を動けなかった私に近づいてきた。

填:「・・・ねぇ。」
蛍:「・・・・・・」
填:「ねぇ。・・・きいてる?」
蛍:「えっ、あ、はい。」
填:「あのさ、あったこと、あったっけ?」
蛍:「・・・ないです」
填:「そっか。じゃあ、はじめまして」
蛍:「なんか変じゃないですか?」
填:「そうかな?
  初めて話す人に『はじめまして』って変じゃないでしょう」
蛍:「なんか変よ」
填:「変なのはあなたでしょ。
  どう見てもはじめましてって感じじゃないけど?
  その俺を見る目つき」
蛍:「え、そんなつもりじゃ」
填:「なんだろう、俺がタイプだった・・・ってわけじゃなさそうだし」
蛍:「違います」
填:「そんな思いっきり否定されても傷つくなぁ」
蛍:「あ、ごめん・・・なさい」
填:「謝られると余計つらいけど」

蛍:「知ってる人に、似てて」
填:「俺が?それはずいぶん陳腐な言い訳じゃない」
蛍:「いえ、さっきあなたがタクシーに乗せた、女性が」
填:「っ・・・!」
蛍:「し、知り合いの、奥さまに似てて!
  それでずっと見ちゃったの、あなたを見ていたんじゃないから!」
填:「なるほどね。
  奥さん、ってことは
  あなたが知り合いなのは旦那さんの方なわけ、か」
蛍:「いや、でも、その、奥さまに
  よく似ているなと思っただけだから、確信は・・・」
填:「ちょっと、話す?そこのカフェでいいか」

蛍:とっさに嘘をついた。
  でも男の視線が一瞬揺らいだのは見逃さなかった。
  私の大好きな女性と逢ってる男。
  問い詰めたいわけでもないし、探りたいわけでもない。
  何がしたいのか、自分でもよくわからない。

  カフェの大きなモニターには洋画が映し出されていた。
  「あ、これ」
填:「ゴッドファーザー、のリマスターかな、2020年」
蛍:「観たの?」
填:「観てない」
蛍:「アル・パシーノって、やっぱり男性から見てもかっこいいですよね」
填:「格好いいかな?いけ好かないおっさんだと思うけど」
蛍:「ゴッドファーザー、スカーフェイス、セント・オブ・ウーマン。
  素敵な大人の男って感じじゃないですか」
填:「はいはい、大人、ね。ああ、セント・オブ・ウーマンは観たよ、
  おっさんがタンゴ踊るやつ」
蛍:「ポル・ウナ・カベーサ、ですね」
填:「そう、それ。邦題はさ、」
蛍:「『首の差』って意味ですよね、
  『首ひとつの差でレースに負けてしまった』って、
  競馬の話に引っかけて
  一人の女をめぐる恋のさや当てに敗れた男の悔しい気持ちの歌詞で」
填:「詳しいね」
蛍:「好きなんです、あの曲。
  ・・・私が首の差で負けてるのかはわからないけど」
填:「え?」
蛍:「なんでもないです」

  「でもコッポラのリマスターって、ちょっとズルいですよ」
填:「ズルい?ああ、ゴッドファーザーか」
蛍:「大御所監督が自らリマスターしたいって言いだしたら
  誰もやめましょうとは言えないじゃない。
  人生なら、そんな簡単にやりなおせないのに」
填:「間違いしかない人生でも
  それを正解と思って過ごしていくしかない、ってね」
蛍:「え?」
填:「これは、いや、なんでもないよ」


填:「それで、何が聞きたいって?」
蛍:「え、何って・・・」
填:「聞きたい事か、言いたい事か、何かがあるから
  あそこに突っ立ってたんでしょ?」
蛍:「え・・・」
填:「例えば。あくまで例えばの話で
  さっき、俺が見送ってた人が、
  あなたの言う『知り合いの奥さん』だとして」
蛍:「あ、はい」
填:「人の秘密に首突っ込むのって、悪趣味じゃない?」
蛍:「別に、そういうつもりじゃ…」
填:「秘密を知ったら、映画では口封じで殺されちゃったりするでしょ?」
蛍:「・・・」
填:「人の恋路を邪魔するものは、馬に蹴られてしんじまえ、とも言うし」
蛍:「恋路?そういう関係なんですか?」
填:「ああ、例えば、の話だって。例えば」
蛍:「じゃあ!あなたはあの人とはどういう関係なんですか?!」

填:「はぁー・・・めんどくさいな、抱けばいい?」
蛍:「は?何言ってん、、、」
填:「俺さ、好きじゃない人ともできるし。
  俺の事好きって言う人とは、むしろしたくないけど。
  この話、このままだとちょっとめんどくさいからさ。
  黙ってくれるなら、抱くけど」

蛍:なにいってんの、こいつ?
  意味わかんない。
  こんなやつ、こんなやつと恵利子さん。

  「わ、私はあなたの事好きなんて言ってないし、
  そんなことしたいなんて少しも言ってなっ・・・!」
填:「いいじゃない。口封じ、させてよ」
蛍:彼が私の目を無責任にじっと見る。
  視線を落とすと彼の唇が薄く笑って
  甘いクチナシの香りがふわりと香った。

  あ。
  ここに彼女は触れるんだ。
  ここに彼女の唇が重なるんだ。

  そう思ったら、思わず指でそこに触れていた。

填:「ふふっ、決まり」
蛍:「あ、これは違うんだってば」
填:「ほら。出よ」
蛍:「待ってよ!」

  彼は私の手首を取って歩き出す。
  なにしてんの?私。
  男になんて興味ないのに
  どこかの知らない部屋にいて、丁寧にキスされて
  手慣れたていで包装紙のように服を剥がれて。

  でも
  これは恵利子さんにキスした唇で
  惠利子さんにしたように触れられて

  恵利子さんを撫でる指

  恵利子さんに触れる唇

  恵利子さんにかかる吐息

  私はこの男になって恵利子さんに触れてるのか
  それとも私が恵利子さんになって男に触れられているのか
  湿度と甘い香りは増していき、
  それは蜂蜜で満たした瓶に閉じ込められているようで
  私と現実の境界線は少しづつぼやけていく。



填:「はい、水」
蛍:「あ、ありがと」
  「ねえ」
填:「ん?」
蛍:「好きじゃない人に、こんなに優しくできるんだ」
填:「まあね、好きじゃないからでしょ」
蛍:「・・・好きな人、はいないの?」
填:「・・・好き、っていうか気に入ってる、かなって人は。
  いや・・・
  そんな事聞くなんて、俺の事好きにでもなった?」
蛍:「少しも、好きになんてなってない。
  ・・・でも」
填:「でも?」
蛍:「口封じはされてあげる。
  それに、また・・・逢ってもいいかな」
填:「ふぅん。あんた名前は?」


蛍:水に燃えたつ蛍、とは
  水の上を、煌々と狂おしく求愛の光をともして飛ぶ虫の事。
  見ずとも、逢えることなくとも恋い焦がれてしまう様。

  手に入らない人の体温と香りが欲しくて
  この男と逢ってしまうのは蛍(けい)じゃない。
  こんなの私じゃない。
  蜂蜜色の愉悦に溺れて、琥珀に囚われた虫のようだ。
  これは。

  「・・・ほたる」
填:「へぇ、かわいい名前じゃん、俺はしん」



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