『文化批判としての人類学』読解②

第1章:人間科学における表象性の危機


 現代は人文・社会科学全般で支配的だった観念を再検討する時代だ。さらには観念それ自体だけではなく観念が生じた思考のパラダイムもまた攻撃を受けている。社会科学においては、経験的調査研究に方向づけをあたえる、一般化する抽象的枠組みによって学問分野を組織しようという目標自体が揺さぶられている。
 このような窮地に対する反応は、分野によってさまざまであるが、社会科学ではすでに制度化している実証主義に対する攻撃にあらわれている。(~p.33)


 知の現状は、現在それがどうあるかよりも、現状の前に何があったかによって定義されている。人文・社会科学は「ポスト・パラダイム[i]」として特徴づけられるように、各分野が占有している、調査研究を組織化する際の全体化への見通しや一般化パラダイムの消散によって特徴づけられる。包括的な「大理論」という考え方は無効化し、文脈性、行為者にとっての社会生活の意味、観察された行為の非決定性が詳細に検討されるようになった。
 こうした状況の主要な部分は〈表象の危機〉と呼びうる。これは、社会の現実を記述するために適切とされている手段の正当性への疑いからこの危機が生じている。アメリカにおいてこの危機は、第二次世界大戦後のパラダイムの挫折、すなわち激動の状況にある西洋社会〈全体〉の状況を説明できるような思想の崩壊を表現している。(~p.34)


 この時期の学問状況は、世界規模で作動するシステムに対する各地域によって異なる対応をめぐって、包括的なパラダイムは、答えはおろか問いさえたてられないのではという疑いが増していた。その結果、多くの分野で関心を引いたのは、社会科学者が用いる表象方法それ自体の認識論、解釈報、論理形式をめぐる理論的論争であった。記述の問題は、理論的反省の中心問題に浮上したとき、表象性の問題となる。この問題に的確にアプローチしてきたのが哲学的・文学的理論であり、こうしたものが自己批判的反省の源となった。(~p.35)


 現代は、これまで支配的だった〈大理論〉のような枠組みは、否定されたというよりは、それに代替する総括的な枠組みがなくなったことで、停止してしまった時代である。(p.36)


 表象性の現代的危機は、二つの時期の間の振り子的往復運動とみなしうる。すなわち、全体化、パラダイム、大理論などが比較的安定している時期と、それらがその権威と正当性を失う時期である。このとき支配的パラダイムは現実の細部を説明することも記述することもできなくなってしまい、こぼれ落ちた現実の細部を解釈するという理論的関心にとってかわられる。このような知の歴史における展開には、各々転換点に文学的かつ修辞学的な特質があらわれており、それは人類学における書法をめぐる実験的試みの文脈を明らかにする。ここでヘイドン・ホワイトの『メタヒストリー』(1973)を振り返る。同書は社会について書く手法に刻み込まれている、19世紀欧州の歴史と社会理論にみられる主要な転換を標付けている。ホワイトの枠組みを参照することで、人類学のような推論によって社会に対して文学的な説明をする分野は、状況や出来事の写実的で正確な描写をとおして社会科学を確立しようとした19世紀の歴史書と比べうるものだとわかる。(~p.40)


 ホワイトによれば、歴史的/人類学的作品はすべてプロット化、論証、イデオロギー的含意を示す。これら三つは記述対象と不安定な関係を結び、またそれぞれ三つも不安定な関係にある。これが書くことに対する不定な性格を生じさせる。このホワイトの図式が興味深いのは、記述におけるこれら三つの要素の葛藤と調停という、理論的パラダイムの衝突として説明されがちな歴史的/人類学的説明の問題を、表象化という書き手の問題に翻訳しているところにある。
 ホワイトによれば、19世紀の歴史はアイロニー的な立場、すなわち精緻な概念化の試みは結局のところ失敗するだろうという自己意識をともなって書かれていた。文体においては、本気であれ虚偽であれ、自分の記述が真であると自分自身でも信じていないと読者にわからせてしまうような言い方をとる。このアイロニーは、言語による現実の描写には潜在的に虚偽が含まれているという感覚から生じている。写実的な記述様式をともなう、信憑性が同程度に高いが相反する歴史的記述が数多く存在したために、19世紀の歴史はアイロニーに終わってしまったのだ。(~p.42)


 20世紀の人類学は、アイロニー的円環ではなくアイロニーと写実主義の間の振り子運動を続けてきた。今必要とされているのは、どちらかを排除しどちらかに傾倒するのではなく、写実的記述の手法と手を組みつつアイロニー的な懐疑的・批判的態度を利用することである。他の表象様式とアイロニーを同時にあつかうのは、視点や解釈は全て批判的に再検討される必要があり、それらは多元的で開かれた一つの選択肢であるという認識をたもつためである。(~p.44)


 人類学や歴史学にとって調査研究課程とは、どのようにして社会的・文化的現実を物語の形式で表象するかという問題である。経験的調査をもとに記述しようとするならば、その記述方法の戦略を自覚する必要がある。そのために、書かれた記述は経験的かつ理論的でもあり、理論への変革を迫るようなものでもある。〈大理論〉の正当性を温存しながら社会変動を説明するというより、変動の過程そのものを微細に記述できる革新的な方法の探求こそが問われている。(~p.45)



[i] 例を挙げれば、ポストモダニズム、ポスト構造主義、ポスト・マルクス主義など。

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