『文化批判としての人類学』読解③-1

第2章:民族誌学と解釈的人類学


 19世紀後半の人類学は、人間すべてに当てはまる一般的科学をめざしていた。しかし、20世紀の最初の30年に、英米の学問状況において専門分化が進み、人類学や歴史学は多くの学問分野のひとつとなった。この潮流の中人類学は統一性に欠けた間分野的な位置に置かれるようになった。
 この変化の中で、民族誌学が人類学の中心問題となった。民族誌学とは、人類学者が異文化でのFWの後で、記述されるべき細部を強調しながらその文化について書く調査研究過程である。民族誌はFWでの出来事や異文化の姿形、民族誌学者の思考などが読者に届く最初の形である。(~p.50)

 現代の人類学は、文化の多様性をFWをもとに記述する間に、専門分化と並行して人間の一般化科学の確立という企ては廃れてしまった。他方で、民族誌のもつ知的攻撃力と魅力は人類学の特徴とみなされるようになった
 1920-30年代はアメリカでは文化相対主義、イギリスでは機能主義を一視点として進んでいた。文化相対主義とは元来、どのように民族誌的な叙述を組み立てるかについての方法論的指針であった。しかし、20年代から30年代にかけての大学内外でのイデオロギー論争を通じ、文化相対主義は方法というよりは主義や立場の表明へと変わっていった。これも第二次大戦が終結すると相対主義はアメリカでは突出した問題ではなくなった。
 文化相対主義は一般の人の間で人類学と同一視されるようになったが、それでも一般主義的伝統は廃れなかった。理性や人間の普遍性、変動する世界における伝統と現代の特質などの論争をめぐり、人類学はリベラリズムの強い味方となっていた。人類学以外の社会科学は、科学として一般化と法則の発見を重視しすぎたために人間の多様性をとらえそこなっていると非難されるようになった。(~p.53)

 学問世界に対して人類学がおこなった知的貢献のよりどころは民族誌学的調査研究そのものにあり、それ自体は2つの正統性によって支えられている。ひとつは文化の多様性の把握であり、もうひとつはこれまで脚光を浴びてこなかった、われわれ自身の社会に対する文化批評である。本書では民族誌的研究の、フィールドワークをもとにして書かれた結果である民族誌飲みに関心を向ける。現代の人類学において民族誌の中心的役割を議論する二つの方法がある。ひとつは、書くことの一ジャンルとしての民族誌、もう一つは専門家による人類学の定義に民族誌はどのような役割を果たしたか、というものである。
 制度的に見る民族誌の役割の一つは、規範的なテキストとして学生に人類学者の仕事を教えることにある。人類学に固有の問題は、古典的作品が今でも十分読むに値し、新しい概念的・理論的問題が生まれるよりどころになっているという非歴史主義的傾向である。本書においても現代人類学がどの程度その歴史的文脈を意識しているかを検討する。
 民族誌は社会/文化人類学の中止天気実践であったのにもかかわらず、なぜ相対的に軽視されてきたのか。それは実証主義が社会科学において優勢にあり、科学の方法論と対照するとFWは数値化できないとりとめのない体験だとみなされていた。(~p.57)

 20世紀の人類学は普遍性・一般性から、全体論(観察した生活様式の全体像)へ志向を転換しつつあったがこれは文化要素が置かれた文脈を明らかにし、その要素間を関係づける体系を見つけ出すことを目的としていた。また、人類学的思考における比較の次元では、書き手と読み手が事前に共有する文化の前提を引き合いに出されるようになってきている。
 人類学において「いい」民族誌とは、読み手に微視的次元の過程、翻訳、全体論を喚起させる民族誌である。
 これこそが機能主義が推し進めてきたものであるが、1960年代以降、人類学における理論的関心は精神文化—彼らの世界に対する彼らの見方—を理解し翻訳することに移行していく。このような動向から解釈学的人類学は登場する。(~p.62)


解釈学的人類学の登場


 解釈学的人類学は、他者の世界を内在的に説明すること、それと同時にそのような説明の認識論的根拠について反省することの二つの次元で作用する。社会的行為は観察者によって「読まれ」うるが、民族誌学者だけではなく被観察者もまた同様にそうしている。ここで批判的に問わねばならないのは、観察者–被-観察者間の解釈が実際のFWにおいて何を表わしているかである。つまり、現地のインフォーマントの解釈をもとに自らの解釈を進める陣留学者は、自身の解釈をどのように構成しているのかという問題である。(~p.64)

 機能主義や構造主義などの認識人類学の考え方は、あらゆる文化について中立ではなく、それ自体分析者自身の文化の範疇や仮定に組み込まれていると指摘され非難されるようになった。これへの対応として、解釈学的人類学は定位しうる。(~p.68)

 解釈学的人類学における異文化のコミュニケーションは二方向的・二次元的である。すなわち、解釈の過程は、ある文化内部での内的コミュニケーションと、意味体系間における外的コミュニケーション両者にとって避けがたいものである。
 間文化的コミュニケーションや、ある文化についてそれに馴染みがない人々にむけて書こうとした場合、文化的他者が用いる他者の経験に近い地域的概念は、書き手が読み手と共有する他者の経験から遠い概念と並置される。異文化間解釈には常に翻訳という行為が付随する。互いに別個な文化概念が民族誌作成過程で相互作用する、その仲介者として民族誌学者はいる。
 概念の並置やそのやりとりは、まずフィールドワークでの対話でおこる。次に民族誌を書くことを通して、人類学者と読者がコミュニケーションできるようにFWの対話でえたものを組み直す際におこる。こうして並置は対話とみなされ、解釈学的人類学の重要な構成要素となった。しかもそれは社会的文脈から切り離された概念の並置ではない。二者間の会話においてはコミュニケーションを媒介する文化的構造という第三者が常に存在する。こうした媒介する構造が、対話という隠喩から枠組みを与えられた民族誌的分析の対象となっている。
 ガダマーの歴史的解釈学は、この並置と媒介を空間的にではなく時間的に展開した議論である。彼の研究では、歴史の各時点にある独自の条件や先入観を、自分が属する時点における考え方と並置しコミュニケーションする。(~p.72)

 アメリカの人類学の歴史を顧みると、解釈学的人類学もまた相対主義の一つとみなされているに過ぎないようだ。相対主義が文化内・間文化コミュニケーションのための一つの方法論だと正しく把握されたとき、解釈学的人類学は相対主義の本質となる。このような人類学は、一般化や普遍性を主張する社会科学に文化的多様性を気付かせ、人間の階層性を否定することなく批判的役割を果たしている。(~p.75)

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