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ifixit

★★★★☆「おもしろかった」
このコメントを参考にゲームを買ようになったなら世界は終わりだ。
しかしゲームのおもしろさというのは他人に伝えるというのがとても難しい。大抵の場合は○○のようだったと例えて相手の経験と想像力に期待するのだが、これでは我が内にある"おもしろさ"は伝わらない。そりゃそうなのである、経験も想像力も熱量もまったくもって違うのである。
ならば仕方ない、説明できてしまうほどに考えて、調べて、文字にするしかない。
まずはそのための足場を組もう。

IA. "Culdcept"はなにがおもしろかったのか。ふー、おし、やるかー。
アートワークやサウンドトラックのような"要素"の良さもあるが、なにしろ良かったのは"ルール"だ。これが俺の中で他の凡庸なゲームと一線を画した理由だ。
IB. えにうぇい、勘違いを予め正したい。あらゆる対戦ゲームにおいて高い勝率を持つプレイヤーというのは、意識的にルールから勝利に必要な要素を抜き出せる能力が高い事が多い。素晴らしい能力だ。しかし声がでかくなりがちな彼らのアイディアは微塵もおもしろさに繋がらないものだ。彼らは勝利が楽しい事とゲームが楽しい事の区別がよく付いていない。
IC. ルールの何におもしろさを感じたのか、考えてみる。
"おもしろい"という感覚は個人差があるものでなんか哲学的だが、ルールは動作の法則や制限の集合で学問的な要素がつよい。
"おもしろさ"は結果としてプレイヤーが感じる感情なのでこれはルール自身が持つものではない気がしてくる。ではルールは何をもってそれをプレイヤーに感じさせるのか?また感覚的な回答になるが、法則が生み出す仮想の世界の"調和""美しさ""共感"のような自分の芯に響くものだと思うんだな。
II. なんだか心構えだけずいぶん高尚になりすぎてしまった。うんこちんこの絵でも描いて少し心を落ち着けてほしい。はー。
III. 大宮ソフトがたまったま生み出したサイコロとカードのゲームは我が感性にとても響いた。あなたにとってもそうだったんだろう、たぶん。次回、ルールその1にご期待ください。飽きた、こりゃ、簡単にはまとまんねーなぁ...

そういえば、今回の記事類を書いてて思ったが、Culdceptは同じ歴史を2回辿っている。
・1stシリーズ→2ndシリーズ→ルールの崩壊
・DS→3DS→ルールの崩壊
歴史が教えてくれている事は、大宮ソフトはIIEXのリリース時点で限界まで取り組んでいたという事だ。もうなに一つアイディアが湧かないくらいに。後に自ら建てたルールの屋台骨をへし折るほどに。
お疲れ様でした。ここにもうひとつ墓を建てておきますよ。埴輪のほうがいいかな?
まったく墓石だらけのコミュニティだな。手札が引けるって?やかましーわ(効果は忘れてたので検索しました)。

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