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joseph+mary

さて、ゲームとはどうやって作られるのでしょうか。すごいプログラムできる人が謎技術でババっとあれすると天使がそれして降臨されるって?
バカかぁおめーわ。頭と手ぇ使って作るんだよ。

A. 基本、デザイナーがアイディアを絵なり文字なり使って仕様にするとこから始まる。チームに伝わらないアイディアは存在しないものと変わらない。それをエンジニアが技術を通して実体に変えていく。その過程、ある瞬間にコンポーネントの集まりでしかなかったものがゲームに変わる。
B. Culdceptもその誕生には、そのアイディアの出どころがある。
ヒントとなるのはその当時「モノポリー+MAGIC」とキャッチコピーをうってた事だ。おそらく、当時の神宮氏の脳を占有していた複数のゲームがアイディアとなって産まれた、ゲーム産まれのゲームだと思う。
ボードゲーム部分は"モノポリー"そのものではないだろう、なにせおもしろくないからな。その子孫であるゲーム産まれゲーム"いたスト"はプレイしていたんじゃぁないかと思う。物件を奪う行為を一方的な買取でなく、戦闘の駆け引きいれたら楽しいんじゃないの?と、どっかで閃いたんじゃぁないか。
カード部分はその当時なら国内も第一次TCGブレイク前、ライバルのいない「MAGIC THE GATHERING」が元ネタで間違いない。
Culdcept初代が1997年リリースで開発期間も考えればMAGICは基本セットは4版、拡張はアイスエイジ。当時は情報もほどよく閉鎖的で自分で考える余地がたくさんあるすげー楽しい時代だったろうから、出会ってしまったが最後創作物に取り込みたくなるのは避けられるわけがない。
他にも細かく影響を受けたゲームはあるだろうが、起点は確かにこれらでそんなにずれてないと思う。
C. よって、Culdcept全体ルールの"ボード"と"カード"のアイディアはそれぞれ別からやってきた可能性が高い。それを裏付けるようにCuldceptは、ボードゲームという土台のルールに、カード要素は数字のバラエティや追加の細かいルールを乗せるような作りになっている。

シリーズどの作品がリリースされた時でも当初はカードバランスが話題になるが、基礎ルール部分の変更は"へーそうなんだ"くらいで終わってしまう。これは仕方ないことで、時間をかけて考えないと違いが解らないが、そんな暇な事するやつはいない。つまんねかったら別のゲームをやりゃぁいいんだ。
例えばだが、最終作であるリボルトは致命的に基礎ルールがつまらなくなっていると思うが、そんな事を思った事はあるだろうか?
もちろん、それについてはこの記事のシリーズで理由を説明できると思う。期待していただいてよい。

恐ろしいのは、このゲームにもシリーズの亡者達がいる。そのレベルになってしまうとこういう話をしても「だからどうした遊べるだろ?」的反応が返ってくる。よく生き方を考えてほしい。
カルドセプトは20周年だそうだ。捨てたな、おい、せっかくおもしろいゲームが遊べたはずの20年。
なーに、ゾンビのコストは0だって?え、20なんですか。はぁ...すいません...
え、リボルトには実装されていない?はぁ...そうですか...すいません...

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