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人生の半分オーストラリアに住んでみて「ふっ」と振り返ってみた。 続 第2話

前回の続きになりますが、今年でオーストラリアに初めて渡航して27年が経っていた。最近はオーストラリアでの仕事も生活も充実して、これまでこのような過去を振り返る事もなかったけど、新型コロナウイルスの影響もあって時間が余裕ができたのか「ふっ」とその道のりを振り返ってみた。自分の半生を公共の場所に公開するのもどうなのかと思ったが、20年以上前のあの日の出来事からここまでの道のりは、数人の友人には多少掻い摘んだ形では話した覚えがあるが、全てを語った覚えはない。そこで普段日記などをつけない自分なのでこの”note”との出会いをきっかけに自伝として書き留めていこうと思います。

前回第一話はこちら、https://note.com/aussiebeer/n/n8ef4ffc07641

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沖縄への旅立ちの日

とにかく社会人になり暇と時間という空間が初めて出来たので、いきなり沖縄離島に旅立つこと事を決めた。(確か3月中旬の午後だったような)その当時はインターネットとかないから全国時刻表(JRとかの時刻が掲載されている分厚い雑誌)を開いて飛行機のスケジュール調べて、格安チケットショップに行って取り合えず日本航空・那覇行き往復オープン航空券を購入してそのままJALに予約の電話。翌日に空席があったので予約。

前日の夜はどうしてか両親にその旅立ちを打ち明けられなかった。その理由はよく覚えていないが、翌朝両親が仕事に出た後に、テーブルに旅立つ旨のメッセージを置いて行ったことだけは覚えている。(確か「旅に出ます、心配しないで下さい」のような簡単なメッセージだったような)今振り返ると母親にはこの急な旅立ち、そしてその先の行動含めて凄く心配を掛けたんだと現在も猛省してます。余談になるがこの時の自分の行いがあるから、今は年老いた母親のワガママも素直に聞いてあげる息子になれたのだと思う。

さて、旅立ちの日は自宅から羽田空港まで行くのだが、貯金があったことはあったが、とにかくこの先何があるか分からないので節約魂が働き、重い荷物を持って駅まで歩き、そして通勤電車に乗って羽田空港までいった気がする。羽田空港から那覇空港までの空路は記憶がないが、機内食で小さなボックスのお弁当が配られて、それを飛行機からお持ち帰りをした事だけは覚えている。多分これも節約魂が働いたんだろう。那覇空港に到着したが泊まる場所も決まっていないので、空港で総合案内所に直行、那覇市内で最安値の個室の宿を探してもらったところ、一泊素泊まり2000円というところを紹介され言われるがままにそこを予約。宿まではその当時ゆいレール(空港から那覇市内や首里城までのモノレール)などなく、タクシーで宿までいった。部屋に入るとコイン式の有料テレビと有料エアコンのある部屋に案内され、和室4畳半くらいの部屋だった覚えがある。取り合えずこの人生転機始まりの一日目はこの寂しい部屋と機内食お弁当で過ごしたのだった。

夜になりお腹もすいてきたのか、有料コインテレビも観る気もなく究極の暇になり、取り合えず歩いて市内を散策することに。途中那覇県庁の近くで居酒屋が見えたので吸い込まれるように入店、取り合えずは「オリオンビール」を注文してみた。しばらくタバコを吸いながらビールを飲んで何かをつまんでいたところ、隣のサラリーマン風の年上の男性に声を掛けられ、色々話を聞いてもらった覚えがある。そこでカウンターの中にいた板前さんも会話に加わり、自分が考えている事を話したところ、だったらば「本島でなく離島にいってたらどうだ」という提案をもらって、しばらくしてお礼を伝えお店を出た事を覚えている。話の順番がズレてしまったが、その自分が考えている事とは、離島をただ旅行するのではなく、沖縄の離島で住み込みの仕事をしながら短期滞在することだった。これには理由があって、高校生時代にバイトしていた酒屋さんで出会った山下達郎好きの4つ上の先輩が、過去に石垣島で住み込みしながらサバイバル生活していた経験談に感銘をうけ、それに高校生の私に大きく影響をしたことは確かである。ちなみにその影響は今でも残っており現在も山下達郎の大ファンでもある。

泡盛との出会い

翌日朝起きて、まずは那覇から気軽にいける離島「慶良間諸島・阿嘉島」にボートで行くことにする。すごーく船が揺れた思い出があるが、ついた先の阿嘉島は自分が想像している沖縄の景色だった。(那覇は都会だったのでまだ沖縄にきたイメージがあまり湧いてこなかった覚えがある)。阿嘉島ではどこかで紹介された民宿に宿泊。正直昨夜の2000円宿よりは温もりを感じられる宿だった。食事を食べた後、民宿のおっさん(お父さん)に「ニーちゃん飲むか!?」と誘われ、やることもなく言われるがままおっさんと二人飲み会が始まった。何を飲むかとかドリンクメニューといったオプションもなく、グラスを渡され一升瓶からそのまま注がれたのは、それが私の人生で初めての泡盛との出会いだった。初めて飲んだ泡盛は正直旨くはなかった(おっさんスマン!)、でもその時はストレートで飲んだからで、その後の沖縄生活でどんどん私の中では美味しい飲み物に変わっていくのであった。

阿嘉島ではとくに進展はなく、翌日ボートに乗りこみ阿嘉島から那覇に戻った。阿嘉島であまり進展がなかったのは、恐らく自分の心のなかでは既に石垣島という目的地があったからだったのは確かである。那覇に戻り、まず最初にしたことは那覇から石垣まで一番安いルートである夜行客船の手配だった。地場の旅行代理店(確か「沖縄国際旅行社」さんといったような名前だったような)に立ち寄るが、そこで大変な事実が発覚!、といっても生命に危険が及ぶわけではないのですが、その客船は毎日運行していなく、この先5日間くらい空きがないと言われた事だった。ほんと「ガーン」という感じだった。そこで困っていた少年(その当時のワタシ)をみた旅行会社の担当者が色々電話をしはじめたり、上司と話したりして、何かのコネを使ったのか、「今から1時間後に出発する船でキャンセル待ちを入れたので、すぐにタクシーで那覇港に行って下さい」といわれ、言われるがまま手配されたタクシーに乗り込んだ。旅行代理店ではカウンターの女性スタッフに「行ったらなんとかなりますから大丈夫です。」と言われたので気持ち的には、出港に間に合うかの方が心配だった覚えがある。那覇港に到着したら、客船ターミナルの受付に直行。「そこで少しお待ち下さい」、と言われ他のお客様が乗船する姿を見ながら待機していたら搭乗券が渡されて私も乗船開始許可。既に殆どのお客様は乗船完了しているなか、どこに案内されるかと思ったら何と!今で言う「アップグレード」。一人1つのベッドがある家族用個室だった。ただそこには先客がおり、私と同じようにキャンセル待ちで乗れた二人の男子大学生、卒業旅行の旅人だった。その部屋では後から来た一人旅のわたしを暖かく迎えいれてくれて、大学生達と夜行航路で色んな雑談をしながら楽しく過ごし、翌朝到着する目的地「石垣島」を目指したのだった。

石垣島到着

午前中に石垣島到着。そして目指したのは石垣市内から車で30分ほど離れた街「川平」だった。川平といえば石垣のアイコン「川平湾」で有名な場所(上にある写真が川平湾です)。宿泊場所は民宿「大浜荘」だった。大浜荘にチェックイン終えると、早速情報収集開始。民宿のおじさんのクルーザー(漁船?)で宿のお客様をつれてこれから川平湾クルーズ(遊覧?)に行くって言うじゃないですか。着替えてきていきなりクルーズに出かける。川平湾は本当にキレイだった思い出がある。その当時できれいな海で行った事がある場所といえばスーパーリゾートのハワイとサイパンくらいでしかなかった。

夜になると大浜荘に宿泊のお客様と近所の川平湾のダイビングショップの人達が集まり、阿嘉島と同じように酒盛りが始まった。もちろんドリンクメニューなどなく飲み物は泡盛のみ。でもなんとなくなれてきたようで、ここでは美味しく泡盛を飲めたような気がする。ここでは皆さんまた暖かく迎えてくれて色々と情報を教えてくれた。もちろん住み込みが出来る仕事場所についてである。その時ゲットした全ての情報は定かではないけど、とにかく石垣中心部で八重山諸島の離島への玄関港「離島桟橋」に行けば色々情報があるというのが結論だった。

翌朝民宿でレンタルした自転車に1時間ほどかけサイクリング、石垣市内中心部にある「離島桟橋」を目指した。普段自転車なんてそんな乗らない自分は凄くお尻が痛くなった事がすごく覚えている。離島桟橋に到着すると言われたとおり桟橋にある建物を覗き込むと、オフィスの窓には「スタッフ募集中」という張り紙がいたるところに貼ってあったことを覚えている。感想は「こんなたくさん求人があるんだ!」の一言。今となれば東京だけでなく世界各国から「スマホ」ひとつで「石垣島 求人」とググると、こういう情報が瞬時に手に入るだろうが、何も沖縄にはコネやつてがない私にとっては、当時(1993年)こんな方法しか思いつかなかったんだと思う。そう思うとインターネットってすごい、と改めて感動する。

掲載されている求人情報から2つくらい自分が気に入った求人先の会社名と電話番号をメモをとり(今ならばスマホで「カシャ」)、近くのボックスの公衆電話を見つけテレホンカードを使い電話をしてみる。その最初電話した求人先の担当者に働きたい旨を伝えると「じゃあ、今から面接来て下さい。」とサラッといわれ、履歴書も持たずにTシャツ短パン姿で離島桟橋にあるオフィスで早速面接。そしたらなんと即採用、そして「じゃあ明日から働いて下さい」という、あらあらあらと話がトントン拍子に進んだ事を覚えている。そしてその決まった就職先(バイト先?)は小浜島のリゾートホテル。この後小浜島の職場で待ち受けている困難も全く予想もせず、少年は胸を踊らし小浜島へ向かうのであった。

第3話に続く・・・




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