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トーア公国騎士団の一日【ストラスこぼれ話】

 ある日の朝。
 トーア公国騎士団の間には、いつも以上の緊張感が漂っていた。
「諸君。今年もまたこの日がやってきた」
 朝礼で挨拶する団長の言葉も、心なしかいつもより硬い。
「今日という一日は試練の一日となるだろう。だがこれを乗り越えられた者は必ず、これまで以上の力を発揮できるようになると私が保証しよう。いいか、心して臨め。無事に生還することを願っている」
 団長は遠くを見つめ、そして呟く。
「さあ、健康診断の始まりだ」

「えっと、ただの健康診断、なんですよね?」
 指定の場所へ向かう道中、私は先輩に話しかける。
「ええ、そうよ」
「その、なんというか、皆さんあまりにも大げさすぎるというか……」
 それに今日は丸一日訓練が休みになっている。たかが健康診断でどうして、という疑問が浮かんでくるのは当然だろう。
「ストラス、あなたの体が頑丈なのはこの数ヶ月で嫌というほど分かってる。でもね、今回ばかりは覚悟したほうがいいわ」
「いや、あの、覚悟って、健康診断なんですよね?」
 噛み合わない会話に首を傾げるが、先輩は取り合ってくれない。
「ほら、先に男どものが始まるわ。雰囲気だけでも感じときなさい」
 女性陣は部屋の前に並んで待たされ、先に男性から部屋に案内される。全身に筋肉の鎧を纏っているかのような男が意気揚々と部屋に入っていき、すると、
「ぎやあああああああああああああああああああああああああああああ」
 悲鳴が響き渡った。
「ええっ!?」
「あの人は、幻獣に脚を噛み砕かれても弱音一つ吐かず戦い続けたらしいの。そんな人ですらああなのよ。ストラス、あなたも覚悟を決めなさい」
「は、はい……」
 こんなの普通じゃない。愕然とする私の前で屈強な男たちが部屋の中に消える度、聞くに堪えない悲鳴が辺りに響き渡る。これは健康診断と称した別の何かなのか。私は弛んでいた気を引き締める。
 そしてあっという間に自分の番が回ってきた。先輩に邪悪な笑顔で背中を押され、心の準備をすることさえできないまま部屋へと入っていった。どんな拷問器具が待ち受けているのか、覚悟を決めてその中を除くと、そこには一人の女医が座っているだけだった。
 そしてその女性には見覚えがあった。
「バ、バティンさん!?」
「ああ、確か……ストラスさんでしたか。あなたも騎士団員なんですね」
「はい、最近入団して……。それよりバティンさんはここで一体何を?」
「健康診断に決まっています。あなたは自分の予定も把握できないのですか」
 あ、そっか、と納得しかけたが、いやいやと思いとどまる。
「そうだとしてもあの悲鳴はなんですか!? どう考えても普通の健康診断じゃないです!」
「私なりに体をほぐしてあげているだけです。あの程度で泣き叫ぶなんてヴィータは本当に弱くて困りますね。もっとも、あなたなら遠慮する必要もなさそうですが」
 これは私を認めてくれているということなのか、それとも都合のいい実験対象と捉えられているのか。背筋に嫌な汗が走るのを感じる。
「無駄話をしている時間はありません、早速始めましょう。まずは目を診ます」
 目。喉、心臓の音と順に診ていくバティンさんは思ったよりも手慣れている様子で、ちゃんと医者なんだ、と安心したのも束の間。 
「!?」
 右腕を強く捕まれた。反射的に抗うが、バティンさんの力に押さえつけられる。
「な、何するんですか」
「抵抗しないでくださいね」
 だけど少しでも動こうものならとんでもない力で押さえられるのだ、抵抗などしたくてもできない。私はされるがままに全身をくまなく触診され、終わった頃には緊張のあまり全身が疲れてしまったように感じた。
「腐っても追放メギド、いい体をしています。だけどまだまだですね。あなたはまだ体をうまく使い切れていません」
「えっ」
 何を言われるかと思えば。予想外の言葉に私は反応ができなかった。
「いえ、少し違いますね。使い慣れていないというのが正解でしょうか。あなたは最近体の動かし方を変えた、そうですね?」
「はい、確かにそうです」
 どうして分かったんだろう。驚く私に構わずバティンさんは続ける。
「これまであまり使われていなかった筋肉が悲鳴を上げています。これまでは自身を意識的に抑えていたのではないですか。それを止めたのはいいですが、力の出し方が確立していないので動きが安定せず体に負担がかかっています。これはよくありません」
 例えば、とバティンさんは私の腕と脚を持ち、強引に動かす。
「こういう動きは駄目です」
「痛っ!?」
「痛いでしょう? こうやって駄目な動きを体で覚えてください。ヴィータは馬鹿なのでそうするが一番効率的ですから。ではもう一度」
「分かった! 分かりましたから! 痛いっ!」
「もう二度とこんな動きができなくなるまで体に痛みと恐怖を刻みつけてください。行きますよ」
「~~~~~~~~~っ!」
 その後バティンさんは散々私の体を弄び、やっと開放された頃私はすっかりボロボロにされていた。そりゃあ今日は訓練もなくなる、と一人納得して歩き出す。それにしても。あんなに生き生きとした彼女を見たのは初めてだった。
 自室へと戻る足取りが軽いのは辛い時間が終わったからか、それとも――。明日の訓練が楽しみだ。そう思ったストラスの背後から、また甲高い悲鳴が響き渡った。

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