炊飯器くんと僕
僕は比較的忘れっぽい人間である。 ――①
とても大事なこととかなりどうでもいいことはよく覚えているのだが、それ以外のこと(つまりほとんどのこと)は、うっかりしているとすぐ忘れる。
僕はお米が好きである。 ――②
比治山の影響で焼きそばパンを食べたくなったりすることはあったが、基本的にはご飯を炊いて食べることが多い。
さて。
①と②から何が言えるだろうか。
聡明な皆さんなら気づくだろうが、僕はちょくちょくご飯を炊き忘れる。簡単な論理問題である。
朝ごはんが味噌汁だけになって涙する日も何度かあった。
特に高級品というわけでもない我が家の炊飯器だが、そんな僕のためというわけでもないのだろうけど、早炊きモードというのがある。通常だと50分程度で炊けるところ、早炊きだと35分だ。
その15分が一体何なのか、どういう原理で何を省いているのかはさっぱりわからなくて若干不気味ではあるが、とにかく僕のような人間にとってはありがたい。
それに僕は上等な舌を持っているわけではないので、正直味の違いもわからない。ノーリスクハイリターンとはこのことだ。
さて、このご時世だからというわけでもなく、面倒くさがりな僕は翌日分まで何を食べるか決めて、一度で二日分くらいの食材を買い込むようにしている。
その日は梅しそ豚丼を作ると決めていた。そんな日に米を炊き忘れた。繰り返すが丼である。丼に米は不可欠である。米は炊かねば食べられない。
気づいたのは空腹に耐えかねキッチンに立った時。慌てて早炊きするが激しく手遅れな感は否めない。
僕は簡単できる料理しか作らないので、35分はどう考えても持て余す(過去に何度も持て余した)。
とりあえず食材を切ったり調味料を用意したりして、そこで一度手を止める(人間は学習するのだ)。
逸る気持ちを抑え、炊飯器の残分表示が一桁になるまで待つ。残り9分になって、念の為さらに少しだけ待って、僕は料理を再開した。
あとは炒めるだけ。完璧な調整に思わず顔がほころんでしまう。
肉に火が通って調味料を入れる。
ご飯は残り4,5分くらいだろうか。いや、もう炊ける寸前かもしれない。
そう思って背後の炊飯器を確認する。
「残り9分」
目を疑った。二度見したがもちろん表記は変わらない。
一体何が起こっているのかわからなかった。
僕は時間を超えてしまったのか? まさか。
答えは一つ。残り時間が変化していないだけ。
僕の完璧な調整が音を立てて崩れていった。炊飯器、お前もか――。
光り輝く「約」の字を、これほど憎んだことはなかった。
結局倍ぐらいの時間がかかったように感じた。
少し冷めた豚肉と炊けたばかりのご飯を食べながら、しかし上等な舌を持っていない僕は、特に何も感じず美味しく食べられた。
最高のスパイスは空腹と鈍感な舌である。
そしてその日も相変わらず、清浄機くんはうるさかった。
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