友情と連帯に包まれた街……光州(1)
2022年のコメント
李明博から朴槿恵政権と反民主主義政権が続いたが、2017年に韓国民衆は文在寅大統領を実現させた。韓国では、軍事独裁政権があまりに長く国を支配していたので、民主化闘争の過程で大統領の任期は5年、再選は認められていない法律があるので、たった5年間の忙しい政権運営となった。しかも、後半はコロナ禍に見舞われた。残念ながら再び右派保守経験となったが、その余の酷さに、韓国民衆は退陣を迫っている。
タイトルの写真は、2017年に開催された「응답하라 1987」(応答せよ1987)と題された李相浩・全情浩二人展に、」板木とともに展示された「해방 아리란」(解放アリラン)。
2010年 05月 22日
韓国・光州5.18(オーイルパル)から、30年。
はじめて韓国・光州(クヮンジュ)へ行ったのは、1992年12月だった。
その時ですでに、光州の人びとの闘いから、12年を経ていた。そして、今年は、30年。山口泉さんが取材に行くので、私も同行させてもらった。
18年前、光州・朝鮮大学の地下にある学生食堂の壁画に、感動したが、その書き手たちと、ともに酒を飲みキムチを食べることがあろうとは……。しかも、そこにあった「解放アリラン」というとっても感銘を受けたすばらしい版画を、後にその作者からプレゼントされることになろうとは……。
光州事件から25年「光州の記憶から東アジアの平和へ」と題された展覧会が京都で開催された。その展覧会で、「解放アリラン」に再会したときは、ほんとうに驚いた。あの地下食堂にあった版画……。では、もしかして、今、来日しているこの展示作品の作者たちは、あの地下食堂の壁画を描いた人たち……? 来日している作者たちをもてなすために、先に東京から来ていた山口泉さんに、確認をしてもらったところ、まさに、その人たちだということが判明! そして、私が、全情浩(チョン・ジョンホ)氏の、「解放アリラン」という作品をとても好きだと、伝えてくれた。
夜遅くになって、彼らのホテルの部屋で酒盛りの最中、突然折りたたまれた紙が、私に差し出された。それが、「解放アリラン」だった。
チマチョゴリをきた女性たちが手をつないで作る陰陽……。
何とも言えない暖かい、希望に満ちた作品。
その後、一度光州を訪れ、彼らのアトリエを見せてもらったり、酒を飲んだりということがあったが、今回も、また彼らの世話になった。
韓国語・英語・日本語などを駆使してのコミュニケーション。私たちは、とても幸福な時間を過ごした。彼らもまた、そうであったと思う。
以下は、1992年はじめて光州を訪れ、朝鮮大学へ行ったときの記録。
光州市・朝鮮大学食堂壁画
1992年12月、韓国・光州市にある朝鮮大学の地下食堂にて。周囲をとりまく円形の壁一面に描かれた壁画には、力強いタッチで、南北の統一を喜ぶ民衆の歓喜とそれを阻むものに立ち向かう若者や労働者・農民・子どもを背負ったオモニの姿があった。
機動隊に立ち向かうオモニのクワを持つ節くれだった手と鋭い眼差しが、この国の人々の並々ならぬ決意を表わしている。
南北統一を阻むもののひとつとして描かれた「自由の女神」に竹槍を突き刺す若者は、中国の天安門で、ふぬけた「自由」を夢想し、張りぼての「自由の女神」をシンボルとした若者とはちょっと違うようだ。その話をソウルの慶煕(キョンヒ)大学への留学経験のある人に話したら、彼女が留学中、大学の正門に星条旗が敷いてあって、それを踏まなければ構内へ入れない仕掛になっていたと教えてくれた。
大学が冬季休暇中とあって、食堂はテーブルやイスが壁画周辺に無造作に積み上げられ、照明設備か、暖房設備かの工事中だった。
1992年12月、学生食堂は冬休み中で、イスが壁に沿って積み上げられていた。「解放アリラン」は、壁画と別のところに掛けられていたものを、パートナーが撮影した。この作者、全情浩氏は、1987年、仲間の李相浩氏とともに、光州民主化闘争を描いた作品が、「国家保安法」に違反するとして、逮捕・拘束され、拷問にあっている。そして、ともに闘った二人は、現在も、共にあり、その友情はまわりの人びとに暖かさを伝える。
5・18は、あいにく大雨で、とても大変だった。予定のところへ行く途中、全南(チョンナム)大学の学生のデモに遭遇。「李明博退陣!」と書かれた横断幕を掲げていた。
その李明博大統領は、昨年同様、追悼行事に出席しなかった。韓国が民主化されて、民主化闘争を闘った人びとは、国家の反逆者から名誉回復され、国のために命を捧げた英雄として、追悼行事も国が主催するようになっている。しかし、それは、政権によっていかようにもされてしまうものでもある。今年は、30年前に戒厳軍と闘って亡くなった人びとの遺族のなかから、行事の内容に批判が起こり、抗議行動もあったという。
30年前の抗争の大きな特徴は、光州市民一人一人が、みな自分に出来ることを担うことで、戒厳軍と対峙したということ。お母さんたちは、おむすびや海苔巻きを作って、学生や市民に配った。前夜祭は、抗争の最大の舞台となった市庁舎前の大通で行なわれ、様々な形で当時を再現する人びとがいました。
通を歩いていて、おにぎりをもらったときは、思わず目頭が熱くなりました。
国が作った5・18記念公園の隣にある、当時仲間によって葬られた「マンウォルドン」の墓地へのエントランスに作られた光州市民の闘いのレリーフの中には海苔巻き(キンパプ)を配る様子も描かれている。このレリーフも、全情浩氏たちの手によるもの。