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福島原子力発電所事故(1)

2022年のコメント
 2013年にやっとのことで、東京から沖縄に被曝回避で移住した。避難者は多かれ少なかれ、移住先で言われることがある。「自分の命が惜しくて、逃げてきたんだろう。逃げたくても逃げられない人もいるのに」。私も、言われました。
 タイトルの写真は、東京から避難するときに、私が出版した書籍の表紙。沖縄へ母子避難した何人かの母親へのインタビュー集。

『避難ママ』表紙の全体。

2011年3月24日
懲りないこの国

 
 大量の野菜が廃棄される。昔のことを思い出した。
 焼津のマグロ漁船・第5福竜丸が、ビキニ環礁でのアメリカの核実験の被曝を受けた。被曝した乗組員のうち、久保山愛吉さんが、収容先の病院で亡くなった。収穫したマグロは、廃棄処分となり、築地に埋められた。
私が、核廃絶を考えるようになった出来事です。
 広島・長崎・第5福竜丸を経験しながら、この有様。ほんとうにこの国は救いようがないと、あらためて思う。

2012年4月。地元商店街のイベントポスター。

 たけのこは、放射能を溜めやすい。とても美味しい春の味覚だけれども、残念ながら東日本のものは食べないようにしている。千葉県は地形や気流などの関係で、汚染がないとは言えない。あえてその地方のものを、いくら無料でも、食べようとは思わない。ましてやこれは、事故から1年しか経っていない。
 詳しくは、みんなのデータサイトで。

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