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福島原子力発電所の事故(3)

2022年のコメント
 この月桂樹も含め、東京・目黒にあった私がこの時住んでいた家は、今は跡形もない。Google earth で見ると、跡地には2〜3軒の住宅が建っている。父が建てた家の雨漏りがあまりにひどくなってきたので、父の死後、母と私の子どもたちが暮らす2世帯住宅に立て直し、さらに母の死後、自宅兼事務所店舗にリフォームして、出版社・オーロラ自由アトリエと自然食品の店「あらいぐま」をやっていた。
 タイトルの写真は、2010年12月、東京・目黒の店舗。

2011年4月3日
原発事故を抜きにした日々を、語れない……。

 4月になって、この緑の少ない東京の街でも、芽吹や咲き始めた花を見ることが出来る。しかし……、それらすべてが今や、目に見えない放射能によって汚染されつつあるかも知れなと、思わざるを得ない。
 何度も言っているのだけれども、津波の被害はほんとうにひどいもので、復興どころか、いまだその全容も明らかでない。それでもなお、津波被害だけだったら、時間はかかっても、復興できる。放射の汚染の恐怖がなければ……。
 チェルノブイリの周辺だって、春になれば花が咲いていると伝えられている、でも、そこに人は住むことは出来ない。

我が家の月桂樹の花の蕾。

 この月桂樹は、1メートルほどの鉢植えを買ってきて、自分で家の前に植えた。現在、2階建てをはるかに超えている。月桂樹としては、とても大きな花が咲くので、通りがかりの人が、写真を撮っていったりもする。
 満開になったら、またアップします。

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