終電

 終電がもうないよ、と言った。別に何かを期待したわけではないはずだ。 ただ「終電がもうない」という事実を言っただけ。
「そっか、これからどうしようか」焦る様子もなく彼は答える。
この状況に焦らない彼に焦ってしまった私はとっさに「どうもなにも、どうすることもできないよ」やってしまった、と少し後悔し、それでも、この後の展開に期待してしまった。
「とりあえず少し歩こうか」
と彼がいう。冬の夜ともなるとしんとしていて、息も空気も張りつめているような、そんな時間帯だ。お金がかかるけどタクシーがあるよ、という言葉を飲み込み、並んで歩いた。彼がこの状況で帰る手段を提案しないことになぜか少し安心した。

「すごく寒いね」唐突に彼が言う。
「確かに、もう冬になったね」と白い息を吐きながら答えた。
マフラーに少し顔を埋めて周りを見る。しかし、さすが都会だな。夜なのに街頭のおかげで明るい。
この時間まで働いている人たちは少ないのか、ビルの電気は少ないけど。というか、こんな時間まで働くなよ、と、まったく関係ないことを考えていた。そうでもしていないと、この状況で頭がおかしくなりそうだった。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。駅で偶然に会い、そのまま夜遅くまでやっているカフェで話し込んでしまった。会うのは何年ぶりかで、彼と私はそれまで連絡を取っていなかったが、どうしてだか声をかけてしまった。お互いに大人になり、色々なことを話した。今までで一番仲が良かったのではないのではないかと錯覚してしまうほどだ。
 時計は見ていたはずなのに、と歩きながら反省した。時間厳守って社会で一番求められている能力のはずだったのに。久しぶりに会った同級生にいきなり声をかけられ、そのまま捕まり、こんな時間になってしまったというこの状況は彼の立場からしたら『災難』以外似合う言葉がない。
「本当にごめんね」と歩いている彼に向って言う。「時間は見ていたはずだったのに」
彼はその言葉にふわりと笑い、「いいよ、気にすんな」と決まりが悪そうな顔をしている私に向かって言った。歩くのは彼の方が少しだけ速い。追いつけるように少しスピードを上げて歩いた。少し、足が痛いような。

 二人で並んで歩いていると、
「あの時、」といきなり彼が言う。私には思い当たることがなく、あの時とはなんだ、と思っているとそのまま続けて、
「あの時、俺たちすごく子供だったよね、」とただそれだけ言った。
何を言っているのだろうか、と少し考えた。思い当たる節といえば、彼とは学生時代に一度一緒に出掛けたのだ、私が誘って。理由はただ一つだ。
「そうだね」
と答えた。そう言うしかなかった。ここで何か言って過去が変わるのかと言ったらそういうことでもない。しかし、彼は何故学生時代の話をし始めたのか、私にはさっぱりわからない。彼が言わなければ、当時の事を思いだすこともなく今日を終わることができた。まあ、今日中に帰れれば、の話だが。

 一目ぼれだった。同じクラスで出席番号が前後以外の共通点は特になかったが、笑った顔がとても好きだったのだ。挨拶をし、毎日少しずつ話せることができたことが純粋に嬉しかった。この人の大事な人になりたいと心の底から思った。
 だけど、女の子とたくさん話さない彼と仲良くなるためには時間が足りなかった。最後に、私が誘って出かけてもらったのだ。自分のエゴで最後の思い出作りということで。そこで彼にずっと好きだった、ということを言ってそれで終わりにしてしまおうと思った。
結局、彼には想いを告げるができずにそのままその恋は死んでしまった。というか、私が殺してしまった。
彼とは今日偶然に会わなければきっとこれから先も話すことはなかった。神様って結構残酷なことをするものだ。

たくさんの明かりを鈍く反射している道を歩きながら、「ピアス、開けたんだね」と彼が言った。
「あまり開けないタイプだと思っていたよ」
「私も。まさか自分が開けるなんて思っていなかったよ。」
「なんだよ、それ。いつあけたの?」
「高三の冬休みだよ。先生にばれたけど『卒業だから見逃してやる』って言われて助かったよ」
「確かに言いそうだな」と笑った彼を懐かしいような、泣きそうな気持でみてしまった。あなたに好きって言えなかったから開けたんだよ、なんて言えない。少し息が震えてしまった。望んでいたようでこうなりたかって様な。いや、そんなことは考えてはいけないな。私たちはもう立派な大人だ。大人のはずだ。心の痛いのをごまかすためにピアスを開けてしまうような愚かな子供ではない。痛みを無視することができない子供ではないはずだ。でも、今ここに確かに、私たちしかわからない世界が、そんな世界が確かに存在していた。今度は私の番だ。

「あの時の事を、」
「うん」と彼が柔らかく言う。
心臓がどきどきした、思っていたよりも柔らかい声と表情に。でもこれはときめきではない。私は聞いてはいけないことをこれから聞くのだ。
「どう思っていた?」
と聞いた途端、彼の足が止まった。
まずいことをした、と後悔したがもう遅かった。気まずい顔した私の事をまっすぐ見て、
「同じだったよ。」
おなじだったよ、と心の中で丁寧に繰り返した。それは一番欲しかった答えのようで、そうではなかった答えだった。私と彼は本当にずっと同じことを考えていたのだろうか。もしも話をするのは好きではない。

「同じだったかあ」と明るくいう。けど、切なくなって、涙がこぼれてしまいそうだった。これ以上聞いてしまえばこの世界は一瞬で壊れてしまう。時間を溶かす世界の中にもう少しだけいたいのだ。
「あの頃は子供だったね。大人だと思っていたけど。」
「私も自分の事は大人だと思っていたよ」
「俺も。そんなことないのにな」と彼は遠くを見た。そのまま「大人ってもっと強いと思っていた」とぽつりと言葉を落とした。この時間はもうおしまいだ。

 「終電ないね、これからどうする?」と私から聞いた。終電がないことなんてわかりきっているのにあえて言った。大人だ、この言葉はお互いに意味は分かるはず。でも、そういうことにしない。したくない。彼は私の中では光なのだ。
「私、このままタクシーで帰ろうと思う」
「俺はそのままどこかに泊まろうかな。明日休みだし」彼はそれだけ言った。
「そっか、じゃあさようならだ」
「うん、さようなら」
彼は歩き出し、私はその場でタクシーを止めた。彼は相変わらず恋愛に疎かった。それとも、気づいていたのだろうか。

 タクシーの後ろに乗り込んだ私は行き先を運転手に告げた。車内の暖かさで指の先がじんじんとしてくる感覚に気づいた。今の今まで夢の中にいたような気分だ。自分の感覚がやっと戻ってきたようなそんな感じだ。
 もうきっと彼とは会うことがない、ラストチャンスだった。これを逃せば私はみえない水の中から抜け出せないところだった。神様って結構粋なことをするものだ。
 彼も、私も、時間は進んでいた。これから先お互いに幸せになるのだろう。そうであってほしい。
 どれだけ懇願してもどうにもならないことだってたくさんあった。好きな人の大事な人になることも、自分の願望も。言葉では言えない私は誰にも伝わらない方法で、私しか知らない懇願をまたするんだ。そう思い、自分の手のひらにキスを落とした。


#創作大賞2022

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