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鎌倉殿の13人のラストは!?

三谷さんが最終回はアガサ・クリスティーを参考にしたとの話で、ちまたでは「『そして誰もいなくなった』では?」とざわついた。
一人また一人と、題名の13人(以外も)が消えて行ってる中、そう推測されるのも仕方がない。
ちなみに私は『杉の柩』と諸々の希望を込めて推測したけど、最近『五匹の子豚』ではないかと思い始めてきた。
以下、その理由を述べるけど、『鎌倉殿の13人』と『五匹の子豚』(ついでに『死との約束』)のネタバレになるから、注意してください。


史実の北条義時の死


『鎌倉殿の13人』の最後は、北条義時の死で終わる、というのが三谷氏のインタビューではっきりと言われています。
では、北条義時の死はどういうものだったかと言うと、

元仁元年6月13日、承久の乱から3年後の1224年、62歳で急死する。
吾妻鏡では、かねてより脚気と暑気あたりで体調不良だったからと記述されているが、この時代の同時代人である藤原定家の日記にはとんでもないことが書いてあった。

義時の死から3年後、承久の乱の首謀者の一人として尊重が捕らえられた。
(※尊重・・・一条能保の息子で延暦寺の僧、元後鳥羽院の近臣)
この尊重が六波羅探題で、
「義時の妻が義時に飲ませた毒で早く殺してくれ」
と言ったのだという。

ここから、義時は急死ではなく毒殺だという定説が存在する。
特にこの『義時の妻』というのが、かの有名な伊賀氏の変を起こした伊賀の方(ドラマではのえ)なので、『毒殺確定』となった。
ただ、最近の学説では、「毒殺は無かったんじゃないの?」となってきている。
というのも、

1.伊賀氏の変は、伊賀の方が泰時を追い落として、自分の実子政村を義時の後継者にしようと画策したと言われているが、姫の前(ドラマでは比奈)の子供である朝時も泰時が継ぐことに難色を示していたみたいだから、伊賀の方が画策するまでもなく泰時が後継者になるのは色々問題があったのでは?

2.捕らえられた尊重と伊賀の方とのつながりが微妙で、尊重が伊賀の方が義時を毒殺したかどうかを知るはずがないのでは?

3. この場で尊重がそんなことを暴露する必然性が感じられない。(伊賀氏の変は1224年、3年も前に終わっている)
これは、捕らえられた尊重が自暴自棄になって口から出まかせを言っただけでは?

とかとかで、毒殺は無かったのでは、ということらしいのだ。
つまり、本人は自然死なのに、周りが騒ぎ立てて『毒殺』になったというパターンらしい。
コレ、三谷さんが好きそうなパターンだと思いません?

『五匹の子豚』のストーリーは


では、アガサ・クリスティーの『五匹の子豚』はどういう話かというと。
(ココからがっつりネタバレです!)

ある画家が毒殺された。
犯人は自首をしてきた画家の妻。
画家は女にだらしがない人で、その時も愛人のモデルを妻と同居させていたぐらい。
(妻の目の前で堂々と愛人といちゃついていた)
嫉妬に狂った妻が夫を発作的に殺しても仕方がないと、情状酌量で妻は死刑を免れるのだが、獄中で娘にこう言う。
「私は殺していない」
この言葉を信じた娘はポワロに真相解明を依頼するところから物語は始まる。

で、真相を言うと、妻は自分の妹が夫を殺したと思い込んでいたので、妹をかばうために自首したのだ。
そして妹も、自分が間違って殺してしまったと思い込んでいた。
もちろん、犯人は別の人間だ。
が、妹が殺したと思い込んでいる姉と自分が殺したと思っている妹の二人のウソのせいで事件が複雑になってしまうという、コレまた三谷氏が好きそうなお話なのだ。

なぜ三谷氏が好きそうかというと、三谷氏が作ったアガサ・クリスティーの翻案ドラマの3作目『死との約束』と『五匹の子豚』がとても似ているからだ。
『死との約束』は、皆が皆、相手が殺人をしたと思い込んでかばい合っていたためにアリバイが無茶苦茶になるという話だ。

結論、『鎌倉殿の13人』のラストは


私は三谷氏の作品を実はそんなに見ていない。
ただ、ある出来事の裏側を書かせるとこんなに上手い人はいないなと思う。
そして、三谷氏もよくそういう話を書いていると思う。
大河ドラマの『真田丸』もそうだったし、アガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件』もそうだった。
他にも、『ラジオの時間』とか『マジックアワー』、『THE有頂天ホテル』、『記憶にございません』など、裏側の悲喜交々の話ばかりだ。

『北条義時毒殺事件』
『死との約束』
『五匹の子豚』
の共通点をつらつらと見るにつけ、
義時は実は自然死(それこそ、キノコの食あたりかも)
息子、あるいは兄や弟がやったと勘違いした伊賀の方(のえ)が、兄や弟(あるいは息子)をかばうために、伊賀氏の変を起こす。
全てを知っている泰時は、伊賀の方のみを追放して、政村は許す。

最終話はこんな展開になるのじゃないかなぁ、と思った次第です。

まぁ、三谷氏には、安直に「義時毒殺」説に飛びついてもらいたくないなという、私の願望がだいぶん入った推測ですが。

余談

『五匹の子豚』は、上記に書いた以上に複雑な人間模様が描かれていて、それが真相にたどり着くのを難しくしています。
何よりも大事なのは、「人はウソをつく」
ある物事を語る時、誰しも自分が見た(あるいは見たと思った)ことしか語れない。
そしてそれは、自分の主観に大きく左右されてしまう。
ましてや、自分に関わることなら見せたい自分を語ってしまう。
人は自然とウソをついてしまうものなのだ。

アガサ・クリスティーは、叙述トリックを最初にした作家として有名だけど、人の証言ってどれもこれも信用が置けないものなんじゃないかな?
誰か一人だけが神の目のように信用がおけるなんて、それこそ不自然だと思う。
彼女は推理小説に人としての自然さを求めた結果、叙述トリックを思いついたのではないかなと思った次第です。

そしてそこが、三谷氏がクリスティーを好きな理由かな、とも思っています。

『鎌倉殿の13人』でも、
「と、みんな予想しただろう?」
からのどんでん返しを期待しています。

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