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トラペジウムにハマる人々。その狂気は美しい。

五月の下旬ともなると憂鬱な梅雨の気配が漂い、時には天気もよせばいいのに空気を読んで本格的な雨をもたらします。
いやだなぁ、湿度はやっぱり不快だなぁ……。そう思いながらエアコンを作動させ、今季初の除湿を行います。少し埃っぽいような匂いを漂わせつつ、しっかりと部屋の湿度を吸い上げて幾分か過ごしやすくなりました。冷たくなった床に腰を下ろして一息し、ヘッドホンを取り出して耳に覆いかぶせます。
ノイズキャンセリングが効いた世界。エアコンが頑張って湿度を吸い上げている音を遮断させます。慣れた手つきでスマートフォンのアプリから曲を選択し、一瞬の間を置いて流れ出す曲は「なんもない feat. 星街すいせい,sakuma.」。

トラペジウムの話題性

トラペジウムにハマる人々の狂気と矛盾する現実

映画「トラペジウム」が公開されて三週間が経過しました。トラペジウムに狂い、東ゆうに脳を支配され、新しい朝を迎えたらさすがに熱も冷めるかな……と思いつつ、眠気覚ましのコーヒーを飲めば燃え上がるようにトラペジウムの熱が再燃するみなさまごきげんよう。あうりんです。

みなさんはトラペジウムを何回観ましたか?
僕は三回です。一回しか観てない? そんなあなたが僕は羨ましいです。トラペジウムは二回目の鑑賞から確変がおきますからね。これからその確変に立ち会えるなんて、本当に羨ましいです。僕はもう二度とこの体験をすることができないのですから。

さて、冒頭でも書き記した通り、トラペジウムは公開から三週間が経過しました。200スクリーンを超える初週から徐々に、いや急激に上映回数を減らし、今や一日に一回のみ、それも早朝だけといった映画館も多くなっています。
おかしい……と僕は思います。なぜなら僕のTLは毎日毎日、おはようからおやすみまで飽きもせず、東ゆうに脳のリソースを埋め尽くされた狂気の人たちが踊りまくっているからです。僕はTwitterで90人ほどフォローしているのですが、その90人のTLだけでこれだけ日々話題が尽きないのだから、鬼滅の刃無限列車編どころの大ヒットではありません。よくもまぁ94分の映画でこれだけ語れるなぁと……。むしろ週を追うごとに更なる熱量の高まりを感じているほどです。まさに煉獄です。

かく言う僕もまた踊り狂っているうちの一人なんですけどね。

話題に反比例するスクリーン数の減少

ではなぜここまで盛り上がりを見せているトラペジウムがどんどん上映回数を減らしてしまっているのでしょうか。
答えは簡単です。売れ行きが悪いからです。
そりゃ映画館は売れ行きの良い映画をぶん回したほうが利益は出ますし、お客さんの都合としても「次の回の上映時間だったら行けるな」みたいな、双方winwinでみんなハッピーなわけです。素人でもわかります。

一方トラペジウムは正直、熱量高めの人間からすると認めたくないですが、認めることが大事だと僕が敬愛するバンドなきごとの水上えみりさんがステージの半分を隠す柱をどうにかしろでお馴染み渋谷クラブクアトロでのライブで言っていたので、潔く認めます。売れ行きがよくないです。※決して「人気がない」ことだけは認めない

少数派は声がでかい

じゃあなぜ売れ行きが不調でいつまで上映するかわからないほど危ういトラペジウムが、これほどまでに踊り狂った人々によってさも大ヒット上映中!! と思わせてしまうほど毎日話題で埋め尽くされているのでしょうか。

これも答えは簡単です。エコーチェンバーです。端的に言えば「少数派は声がでかい」です。

いやわかっています。わかっています。
よく考えたら、いやよく考えなくてもわかっていますが、90人のフォロー数のうち踊り狂っているのは10人ほどです。この10人が毎日毎日トラペジウムフェスを昼夜どころか朝昼夕晩で開催しているのです。しかもこの10人が、僕のフォロー外でトラペジウムに踊っている人をRTすると、TLはあら不思議。大規模24時間ぶっ通しトラペジウムフェスの出来上がりです。

あぁ素晴らしき世界に今日も乾杯

先日フォロー数約4,000人のイラストレーターykさん(https://x.com/yK0614animation)のTLを覗かせてもらう機会がありました。

恐怖でした。

そこにはトラペジウムの話題を見えない壁にぶつけるよう、孤独に、そしてただひたすらに吐き出している狂気と化した「あうりん」という人がいたのです。

あぁなるほど。これを人は鬼と呼ぶのか。僕は僕自身が生み出す狂気を認知しました。僕はいつの間にか煉獄さんが責務の全うを拒むほどの怪物となっていたんです。

ただ、やはり怪物は怪物を呼ぶのか、それでも僕のTLは常にトラペジウムの話題一色です。ある狂気を発信している人は次第にその狂気に同調する人々が集まり、やがて大きな一つの塊となる。その声の一つ一つは小さいけど、それが大きな塊となって声を出せば圧倒的なエネルギーになります。

そうして出来上がったのがエコーチェンバーであり、少数派は声がでかいの正体です。

我々は東ゆうである

トラペジウムに、東ゆうにぶちのめされたみなさん。聞いてください。
普通映画は何回も観ないし、そもそもサブスク全盛期の今、映画館に足を運ぶことすら珍しい世の中なのです。我々はそこを認め、自覚していかなければなりません。まさに「それは東さんがアイドルを好きだからよ」なのです。我々は東ゆうなのです。

しかし一度ハマってしまったのならむしろこのフェスに参加しない手はありません。踊らにゃそんそん。人生楽しんだもん勝ちです。

トラペジウムにハマる理由

もはや恐怖

そもそもとして、なぜトラペジウムは少数派の声がでかくなるほど熱意に満ち、毎日毎日トラペジウムに踊り狂う人々が現れるのでしょうか。この記事はまだ半分あります。頑張ってください。

前述の通り、トラペジウムは上映時間94分です。通常のアニメ放送に換算すると、およそ4話ほどでしょう。綺麗に簡潔してしまっているため、これ以上先への展開は望めません。シリーズ展開も考えにくいです。つまりトラペジウムは94分で完結した作品です。
もちろん原作小説や映画のノベライズ(原作が小説の映画のノベライズとは??)、夏から予定しているコミカライズなど横への展開はあります。コンテンツ自体は一応映画以外にもある形ですが、「トラペジウム2」「トラペジウム極」「シン・トラペジウム」など、続編が望めるとは到底思えません(個人的希望としては前日譚がほしい)。94分のストーリーで我々は三週間も、そしておそらくこの先も東ゆうに支配されることになります。

これを恐怖と言わず何と表現するでしょう。

トラペジウムにだけハマっているわけではない

例えば僕は2024春アニメでいえば、ガールズバンドクライに最もハマっています。あまりTwitterでは言っていないだけです。空の箱と名もなき何もかもをよりよい音で聴きたいと思い、SONYのヘッドホンを新調したほどです。8話マジで最高。になもも始まった。俺は泣いた。

他にも響け!ユーフォニアムにものめり込んでいます。日曜17時という憂鬱確定演出であるサザエさんのエンディング曲を聴く前に、女女のギスギスした関係性を永遠に見せ続けるNHKのEテレは我々視聴者に何を教育させようとしているのでしょうか。精神?
とはいえ時折挟まれる久美子と麗奈の圧倒的イチャコラは確かに日本人が忘れつつある大切な教育をもたらしてくれています。我々が支払ったNHK代はこのためにあったのかぁ……。僕、ママが好き。

まぁこんな感じで、何もトラペジウムだけにハマっているわけではないのですよと言いたいです。響け!もガルクラも聖地巡礼をする(予定含む)ほど同じ熱量で好きです。

映画だからこそ

ではトラペジウムとこの二作品とでは何が違うのでしょう。全てに共通するのは女女のギスギスでしょうか。

決定的に違うのはアニメ映画であるか、通常放送か、です。当たり前ですが、コンテンツの見せ方が全く違います。

トラペジウムは94分で起承転結まで駆け抜けなければなりません。一方響け!もガルクラも13話をかけて起承転結へ向かっていきます。物語の凝縮加減が違うわけですね。

更に言えばテレビ放送作品は最終回を迎えるまで毎週新しい話に殴られることとなります。スルメを噛んでいる暇なんてないです。

一方トラペジウムは94分しかありません。これで終わりです。これ以上もこれ以下もないです。トラペジウムは生涯トラペジウムであってそれだけなんです。これ以上かき乱しても明日はありません。
だから明日はないとわかっていながら、それでもかき乱さなければなりません。深掘りして深掘りして、地殻の底を掘り進めて新しい東ゆうを発見しなければ本当に明日はないのです。

別に深堀りしなきゃいいじゃんと言われたらそれまでですが、それができないから我々は日々狂っているのです。むしろ助けてくれ。私を解放して。

トラペジウム(映画)は文学である

トラペジウムは映像の空気で行間を読み、登場人物の気持ちを考える国語のような映画だと思います。
原作小説からそうなのですが、この物語は東ゆうの一人称視点でストーリーが展開されていきます。たまに他の登場人物の語りが挟まることがありますが、基本的には9割5分東ゆう視点で進みます。
映画で見えている景色=東ゆうだし、つまり他の人物の気持ちや考えていることの説明なんてものは基本的にないのです。

そして主人公である当の東ゆうも、視聴者からすると何を考えているのかわからないほど、このアニメ映画は行間で語ってきます。例えば人物に対する光の当たり方、電車で移動するというメタファー、もはや描写すらされていないシーンとシーンの間など……。トラペジウムは映画なのに読解力を必要とする文学なのです。

だから一回観ただけでは「あれはいったい……!? どうして……!? このときのくるみちゃんの気持ちは……!?」と言ったように、物語の流れは理解したけど、登場人物の心情がいまいち掴むことができない場面が多々あります。そして自分なりに考察し、Twitterで感想を漁り、新たな気づきを得た状態でもう一度トラペジウムを鑑賞すると「なるほど!」と合点がいくのです。ようこそ沼へ。トラペジウムは二回観ようね!(何度でもいいよ!)

やっぱりトラペジウムにハマる理由は読解力を必要とすることだと思います。電車の描写がメタファーだとか、慣れていない人には無理な話です。
しかしそれを知った上でもう一度観てみると、とても同じ映画を観たような感想にはならないのです。トラペジウムの、そして東ゆうの愛おしさがそこにあります。

おわりに

こうしてnoteにつらつらと謎の考察というかエッセイというか、これを書きあげてしまう動力源は何なのでしょうか。
もうわかりますよね。
Twitterに書くだけじゃトラペジウムに対する溢れる愛と熱量を抑えきれないのです。
どう処理していいかわからないこの熱量をなんとかして外に出さなければならない。これもまた狂気。僕自身もまたトラペジウムフェスの参加者なのです。


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