ChatGPTはジェスチャーゲームできない

モーテン・クリスチャンセン、ニック・チェイター『言語はこうして生まれる』がおもしろかった。ルソーの言語起源論の時からわからないなりに読んだソシュールの言語記号論をへてチョムスキー、ピンカー、FOXP2遺伝子あたりまでトレースしてきてChatGPTにぶん殴られた現状の精神安定剤的読書だった。

言語は、ジェスチャーと発声を組み合わせたジェスチャーゲームから生まれたのであり、現在もジェスチャーゲームであり続けている。
何かを理解、表現するときに「いまだけボトルネック」が存在し、それを超えるためにチャンキングを使う。
の2点が重要な概念であろう。

言語がジェスチャーゲームから生まれというのはそれほど新しい説ではないだろう。ニカラグア手話の例もあげているようにジェスチャー、特に手の細かい図表表現の力は強い。親指と他4本指が対向して「掌」が作れ5本が独立して動かせるというヒト種の身体構造も重要だといえる。チンパンジーなども同じ身体構造を持っているが「掌」の使い方が下手くそである。
それに比べ音声・発声の図表表現能力は弱い。発声で立体的、象徴的表現をしようとすると音楽になり、音楽は言語に転化しずらい。これで岡ノ谷さんの「さえずり言語起源論」は弱くなってしまった。キキとブーバの関係実験は興味深いが音と意味の関係は恣意性が強い。言語にとって意味は(耐えられないほど)軽く浅い。
ジェスチャーゲーム言語起源論は、地球上に現在も7000もの言語がある。ピジン化やクレオール言語が生まれていることの説明にもなる。言語=ジェスチャーゲームは即興、創造(想像)、協力、使い回し、やっつけ仕事の要素がある。集団によって使い続けられ、体系化が進めば英語や日本語のように定着・継続するが、ジェスチャーゲーム要素は残っているので言語は常に変化する。この変化が気に入らない人が「最近の言語の乱れ」を言うが言語はジェスチャーゲームのように進化(変化)するものである。

「いまだけボトルネック」は人間の感覚器と脳の関係、発話のプロセスとタイミングにかかわる内容である。言語活動を含む日常生活は感覚情報の洪水の中にいる。そこで的確な理解と反応を示していくにはボトルネックを通過させないといけない。瞬間瞬間で判定理解しないと感覚情報の洪水を処理しきれない。これは「非注意性盲目」で説明できる。バスケのプレイヤー間で何回パス回ししたかを数えるタスクを与えると、その画面の中をゴリラのぬいぐるみが通ってもほとんどの人が気づかないという有名な実験がある。マーケティングの世界では変化盲、選択盲として登場する。
このボトルネックをチャンキングで超える。チャンクとはばらばらなものをある塊にして記憶することで、8桁の電話番号は4ケタずつのまとまりにして覚えるようなことをいう。ミラーの有名な「7±2」が人のチャンクの限界という説がある。(その後、4±2という説も)
チャンクからチャンクを作る作業で統語を作っていくが、チャンク同士の干渉を避けるために記憶には数個のチャンクしか置かない、言語生成のジャストインタイム方式を採用と著者は言っている。こうして統語・秩序が自然発生する。

ライプニッツの「普遍的記号法」からチョムスキーの「普遍文法」、それをピンカーが「言語本能」とした言語生得説が支配的である。それは、自然言語の裏に論理的記号法(数学的、遺伝子的)の体系を想定した考え方である。ジェスチャー言語起源論では、そういった生物学的、遺伝子的資質として言語能力を捉えるのではなく、「クリエイティブな即興の連続」とする。1人の天才・プロメテウスの脳の突然変異で言語が生まれた。FOXP2遺伝子が言語遺伝子だと言ってもそれだけでは言語起源を説明できない。
言語はまったく新しい種類の進化プロセスを生んだ。生物学的遺伝子の進化ではない、文化の進化というプロセスを生んだのである。
GPT3もGPT4も「即興、ジェスチャーゲーム」はできないであろう。

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