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ロックとソウルの歴史③「ロック・アラウンド・ザ・クロック」

 1954年にビル・ヘイリーは「シェイク・ラットル&ロール」の前に 「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を出しています。当時はB面で売れなかったのですが、1955年に映画『暴力教室(ブラックボード・ジャングル)』の主題歌になり8週連続全米1位の大ヒットになります。不良映画の内容にマッチするサウンドが若者に受け入れられました。歌詞の内容はただのパーティーソングなのですが反逆的だと受け入れられたのが面白いです。こうして若者によってロックンロールは熱狂的に支持されていきます。

 映画の中で教師がジャズの78回転SPレコードをかけるが生徒に割られるシーンがあります。78回転SPレコードのジャズの時代から45回転シングル・レコードのロックンロールの時代へと変わっていく象徴的なシーンです。

 1945年に第二次世界大戦が終わり、戦地から帰って来た兵士が結婚し子供を産みベビーブームになります。大人はジャズを若者はロックンロールを聴くようになり世代間の断絶を生みます。

 ロックンロールは音楽だけでなく新しい価値観や生活スタイルを生みます。以前はジャズがその役割を担っていたのですが1950年代にはジャズが芸術的になり若者には響かなくなります。ちなみに後々にはロックも若者に響かなくなりヒップホップに取って代わられるのですがそれはまだ大分先の話です。

 ビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」をロックの最初とする説も根強いです。しかしこのときビル・ヘイリーは妻と5人の子供もいる30歳、反逆的なイメージとは程遠い変な髪型のおじさんでした。ビジュアルも含めたロックンロールのイメージを考えると、1956年のエルビス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」の全米第1位まで待たなければならないでしょう。


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