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ロックとソウルの歴史①「ロケット88」

 ロックとソウルの歴史をビルボード全米1位になった曲で振り返ります。白人音楽であるロックと黒人音楽であるソウルは共に寄り添って歩んできた音楽です。しかしいつごろからかはっきりと別れてしまうのですが、それがいつなのかを探るのもテーマです。

 ロックとソウルの歴史には主観が入っていて、当時は売れていない曲が過大評価されていたり、逆に売れていたのに過小評価されている曲もあります。もちろん当時に売れていなくても後に影響を与える音楽があるのもわかりますし、主観がない文章などありえないことも承知しています。とりあえず主観をあまり出せないようにビルボードで全米1位になった曲をメインにトップ10に入ったシングルだけで話をすすめてみます。話の流れで仕方なしにポピュラー・チャートでヒットはしていないものの、リズム&ブルース・チャートでしかヒットしていない曲も出てきますがなるべく出さないようにします。

 アメリカのビルボード誌は白人音楽をポピュラー、黒人音楽をリズム&ブルースというチャートで想定していました。しかしロックンロールによって人種やジャンルの垣根を越えていきます。

 ロックンロールがいつ生まれたかは所説あります。1951年にシカゴのチェス・レコードから出たジャッキー・ブレンストンの「ロケット88」が最初という人が多くいます。この曲はリズム&ブルース・チャートで1位になりました。カントリーしかやっていなかったビル・ヘイリーはすぐにカバーしています。ヒットはしませんでしたが手ごたえを感じてリズム&ブルースをやりだすようになります。

 1951年はラジオDJのアラン・フリードがリズム&ブルースをかける番組「ムーンドッグス・ロックンロール・パーティー」を始めた年でもあります。アラン・フリードはリズム&ブルースをロックンロールと言い換えて白人向けのラジオ番組で黒人音楽をかけた最初の白人DJです。ラジオのおかげで人種の垣根を越えて音楽が聴かれるようになっていき、若者は大人が嫌うリズム&ブルースを聴くようになります。

 ロックンロールという言葉自体はセックスの隠語としてブルースやジャズで1920年代から使われていましたが、音楽ジャンルとして使われたのが1951年になります。ここで大事なのはロックンロールとリズム&ブルースは同じ音楽だったということです。よくロックンロールはブルースとカントリーの融合といった乱暴なことをいう人がいますが、正確にいうならばカントリーのバンドがリズム&ブルースを演奏した音楽でしょう。黒人のリズム&ブルースを白人がカバーすると名前が変わりロックンロールになるということです。

 1951年はさすがに遡りすぎだとは思いますがビル・ヘイリーやアラン・フリードといった白人がリズム&ブルースを見つけた年だということはわかります。


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