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いじめっ子が更生した

今日久しぶりに高校時代の友人の夢を見たのでその人の話をしたい。小学校から高校まで一緒だったその人は、所謂いじめっ子であった。暴力と暴言が主な手段で、私も何度かやり合った事がある。だから中学時代のその人の事は知らないし、高校二年生になって同じ部活に参加してきた時はうわぁと思った。しかしその人は自己紹介を終えて私に近付いてくると、小学校の時の非礼を大変丁寧に詫びてきた。私はきょとんとしてその人が自分が如何に間違っていたか、それをどれだけ恥じているか、全員に謝りたいと思っているかを切々と語るのを聞いていた。本当に小学校中学校と同じ学校に通ったあのいじめっ子と同じなのだと驚き、後一年半交流する事を考えて和解した。本当に後悔しているのだと伝わってきたし。けれどその人と小中で関わった人は殆んどそうは考えなかったらしい。謝罪を受け付けるどころかもう二度と関わりたくない、という反応が多かったそうだ。当たり前だろう。しかしその人は許してもらえない事をしっかり受け入れていた。自分がやった事はそういう事なのだと。

いじめっ子が更生するのは素晴らしい、というような記事を書きたい訳ではない。被害が増えない事はいい事だが、それを美化していい訳ないからだ。しかし自分がやっていた事に向き合ってそれが間違っていた事を認めるのは物凄くパワーがいる事だ。目を逸らしている方が楽で、流されてしまいたくなるのに。

今はもう全く連絡を取っていないのだが、元気でいて欲しいなと思う。

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