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自由への招待

 1年がかりの提案を断られた。
それもこちらが提案したスキームでメインバンクと条件競争し、敗れる形で。
担当者として目標も貼られている中で、案件失注は残念だ。せっかく頑張ったのに、自分のアイディアなのに、という気持ちが湧き上がっても来る。ついでに目標達成も黄信号だ。

 だが構わない。

 最初から 「ウチは借入は今までずっとM銀行に面倒見てもらってきている。相談しないわけにはいかない。ただ、お宅の条件が上回れば、お宅と取引する言い訳になる。それでも良ければ、提案して欲しい。」 こういう約束で提案させてもらっていた。
スキームの流用は覚悟の上だ

 何より、提案できるまでの関係性を築くのに、どれだけの苦労があったことか。 関係構築というよりは、修復だ。
というのは、このお客様、小野様は地元の名士で、「ウチは借入はM銀行」と言いながら、元々は当行でも与信取引(融資取引のこと)があり、嘗ては頭取の就任パーティにも招いた記録があった。
であるにもかかわらず、当行の不手際によって信用を失墜してしまい、当行の貸出はM銀行に肩代わりされてしまった。

 記録上は「競合他行から肩代わり提案を受け、条件面で大きく劣後していた為、防衛が出来なかった」ということだったが、小野様曰く「お宅にお願いしたのに条件も出て来なかった」らしい。
「駅前のビルを建築した際、計画段階から内容を伝えていたのに、着工するまで条件が出て来なかった。ウチはお宅で借入をするつもりだったが、やむを得ず、当時M銀行の人がしつこく来ていたのもあって、M銀行を使わざるを得なかったのだ。 今でも理由が分からない。何でお宅は対応してくれなかったのか…」

 答えられなかったが、何となく理由は想像がついていた。私の2代前の担当者。柳生さんは有名人だった。個人表彰の常連で出世頭。行内ランキングで名前を見ないことは無かった。一方で、お客様と仲良くなるがクロージングは他人任せ。融資には一切タッチしない。そんな悪名も轟いていた。

 柳生さんは小野様からの相談を握って(※隠すこと)、報告しなかったんだろう。代わりにやってもらう担い手がいなかったか、たぶんその時の業績評価ルールは融資よりも運用の方がウェートがあったから関心が無かったか。 当時の在籍者に知り合いがいたので答え合わせをしてみたが、案の定だった。

 話を戻すと、そんな不手際がありながらなぜ私がもう一度小野様のところに出入りできるようになったのかというと、地域の地主さんからのアツい推薦があったからなのだ。 前任の支店長は非常に立派な人で、地域行事や福祉などを積極的に支援していた。

 労をいとわず様々な会合に顔を出し、取引先が理事をやっているような団体には担当者をにも手伝いをさせ、地域への当行の浸透政策を行っていた。それが奏功して、取引先…というか私の担当の地域の有力な地主さんの大きな支持を受けることになり、「メガバンクでありながら地元密着を実践する素晴らしい担当者」として色んな方に紹介いただいたのだった。

 その「色んな方」の中に、小野様がいた。何回か会合で会う内に、飲みの席で「昔はお宅とも取引あったのよ」と話をしてくださり、出入りが出来るようになった。それから何の取引が成約したわけでもないのだが、ふとしたタイミングで聞かれたことに答えたり、ということを繰り返していたら…
「資産管理会社を活用すると良いらしいが、活用って言われてもさ。君、分かる?」という球が来た。アイディアありますんで、提案させていただけませんか?と言ってみたところ、先ほどの「M銀行に仁義通さなきゃいけない前提なら、いいよ」ということになったのだ。去の当行の不義理もある。
仁義は通してもらった方が良かった。小野様にも言い訳が必要だろう。当行との取引を復活するに際してのM銀行への言い訳。我々を許す言い訳。条件は目いっぱい頑張るしかない。それで駄目なら…ここまで復縁できたのだ。 また次頑張れば良いや。

 提案自体は上手くいった。先方の税理士も巻き込み、仲良くなった。税理士と我々のコミュニケーションが良かったことも、小野様は気に入ってくれていたと思う。後は、条件面で負けなければ…だが、非常に分が悪かった。今回の融資は不動産の建築や購入の案件ではない。M銀行の根抵当権が邪魔だった。審査時期に支店長の交代があったのも良くなかった。というか最悪だった。審査部との交渉が必要であったのに、市場部門から来た新しい支店長の審査部への説明は、ポイントがずれており(畑違いだからしょうがない)、さらに悪いことに、高圧的だった。

 結論、担保が複数必要になった。M銀行ならば根抵当権の枠の中で対応できる。 当行は担保不足で金利も劣った。これが決め手となり、私たちはM銀行に敗れた。
だが収穫もあった。次の案件はウチでということになり、資産承継の案件、つまり遺言信託の相談も受けることになったのだ。

 小野様には「ここまで頑張ってくれて、M銀行から良い条件を引き出すこともできた。あなたの働きにはぜひ報いたい。本来お宅でやるべき話を、M銀行に持って行ったのだ。彼らには義理を果たしたと思う。次は『申し訳ないけど条件を問わずお宅の銀行でやるよ』と伝えてあるから」と言っていただけた。
徒労には終わらなかった。
正直、失注したのは痛い。痛いのだが、次には繋がった。それに、案件を通じて税理士とも仲良くなったし、何より小野様の覚えが良いということで、紹介も受けられそうだった。

 大丈夫。報われる。そんな気持ちでいた。

 1週間くらい後だったと思う。小野様から電話がかかってきた。

「さっき支店長が来て、取引解消だ、って言ってきたんだけど、本気なの?」

 寝耳に水どころか、ケルヒャーで高圧洗浄でもされたようだった。信じられなかったし、衝撃的な言葉だった。
「は?」
「は?」なんて失礼だ。生まれてこの方、「は?」なんて言ったことが無い。
本当に目の前が昏くなり、ひたすら謝っていたと思う。が、手遅れだった。 「あなたは悪くないということが分かった。だが、あなたも転勤する。担当があなたじゃなくなることを考えると、申し訳ないがお宅との取引は考え直さなければならない。申し訳ない。」 俺の未来が奪われた。

 営業室で頭を抱えていると、支店長が小野様の面談から戻ってきた。「おい!」と呼ばれ、支店長室に入っていった。
「取引断ってきたぞ」
「な、なんでですか」
「いや、ウチのスキーム使って他所で借りるとか、あり得ないだろ。俺は許さん。」
「え…」
「お前の顔潰されて、黙っていられるか。お前は悪くないよ。また頑張ろうな。以上!」
「あ、ありがとうございます」

 絞り出した。 なんなんだよお前何の役にも立たなかったくせに邪魔だけはするのかよ俺たちが積み上げてきたものをぶち壊しやがって俺は許さんとか何様だよお前に何が分かるんだよ次の案件もあったのに代わりなんていねえよくそくそくそ…

 言葉には出さなかったつもりだが、顔に出ていたのかもしれない。たぶんこれがきっかけで、私は「生意気な部下」のレッテルを貼られ、元々在籍期間も長かった為、すぐに隔地異動を命じられた。
だが、全く未練を感じないどころか、一刻も早く異動したかった。恥ずかしかったし、このマーケットから逃げたかったのだった。

 送別会で支店長に向かって歌ってやった。
ど~こ~へ~行くかは勝手だけれど 邪魔だ~けは~しない~でく~れる~
悲しい~ほ~ど~き~み~に~つた~わ~らない
この気~持~ち~ 大切に トランクに詰めて~

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