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こうして躁鬱になった

 小学生のとき、「お利口な優等生」キャラで居場所と尊厳を得ていた。面白さや愛嬌や可愛さや運動神経の良さなど、他の武器や魅力は無かったから。
 中学校に入ってもそれは引き継がれた。でも、中学校は小学校よりさらに、頭の良さと個人の尊厳が直接的につながっていた。要は、分かりやすく「勉強できるやつが認められる」社会だった。まあ、公立中高一貫なので当たり前ちゃあ当たり前であるが。私は国語が得意だったので、数学以外の科目は中学レベルまでなら大体そのおかげでどうにでもできた。できてしまった。国語のおかげでなんとなくできてしまっているだけで、本当は勉強なんて全く好きではなかった。よく考えれば勉強時間は学年でもトップレベルに少なかった。勉強が嫌いだからである。なのに、中学校では、さらに強化された「優等生キャラ」を作り上げてしまった。
 高校にあがった。中学までと比較して、学校の雰囲気はさらに勉強一色だった。ていうか、はっきりいって勉強しか取り柄のない学校だった。勉強が嫌いな私は、学校に行く楽しみが激減した。そして、国語力一点だのみだった成績にもひびが入り始めた。「友達が多いから」という理由で理系にすすんでしまったからである。国語と英語は相変わらず対して勉強しなくても出来たが、数学と理科、ついでに社会は悲惨な成績だった。
 成績が下がること自体は、今思えば別に大した問題ではなかった。問題は、私が「成績=人権」という価値観を妙にしっかり抱え込んでしまっていたことである。勉強がおぼつかなくなった私は、「こんな自分ではだれにも認めてもらえない」という恐怖を無意識に感じ始めた。勉強についていけない現実に直面するのが嫌だった。まず授業に行くのが嫌になり、続いて学校に行けない自分が嫌になり、あっというまにうつ状態に陥った。
 勉強が嫌いだから他のことを頑張ろうという単純な解決策にはなぜかたどりつけなかった。学校には行かなくなったが、たまに行った日には友人の前であくまで普通に,元気にふるまっていた。弱った姿をどうしてもみせられなかった。誰にもつらさをうまく相談できなかった。家族相手でもそれは同じで、家では部屋に閉じこもりだれともほとんど話さなくなった。
 大学に上がった。不幸なことに適当に出願して合格した滑り止めの大学は,まじめで堅実な勉強家の集まる理系大学だった。相性は最悪である。もともと弱って不安定なところに畳みかけるような環境要因、覿面に精神状態は悪化した。ここから長く病んだ。友人と遊ぶことで気晴らしをしようとした。確かに気晴らしにはなった。そんなに人が好きなわけではなく,ただ「人の話をきいて人のことを考えている間は自分の酷いい状態に目を向けずに済む」というだけのことだったかもしれない。どうしてか友人の前でうまく素でいられず,過剰に元気な状態を演出してしまった。余裕があって大胆で明るい雰囲気をまとわずにおれなかった。反面,家庭では元気を取り繕う余力はなく,延々寝込んだり生活がままならなかったり,そんな状態が続いた。根本的に不健康で心身弱っているので,長期的な活動は何も続かなかった。どのバイトも、部活も、勉強も結局ダメになり失敗体験が積み重なった。外での振る舞いと実際の生活の解離はだんだん酷くなった。元気の演出が過剰になり,親の言いつけを破って嘘を言うことが増えた。それがストレスになり,余計に生活は荒んだ。言いつけも厳しくなり、家での居心地も悪くなった。それでさらに外での遊びを求めた。そんな極端な悪循環を繰り返すうちに,負担がかかったのか,約束や記憶がだんだん自分のなかで曖昧になり始めた。酷い鬱状態を起こした前後の日の記憶がなくなることもあった。発作をおこした晩にはいつも「気分が落ち込んでいても何も生まれないし,人に頼るのもきりがないから,とにかく嫌なことを考えるのはやめて一人でやりすごして寝よう」と心掛けるようにしていた。それが余計にダメだったのかもしれない。誰にも話していないストレスのかかる出来事自体を丸ごと忘れるようになっていったのかもしれない。もともと不安定な精神状態で,自分の考えすら信用できなくなってきた。
 気がつけば,躁鬱になって数年が経っていた。


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