バーチャルの生と死 おわりとはじまり 祈りと救い

はじまりのライブでおわりを歌う

楓と美兎は、死を語った。それは彼女たちが「生きている」から。
1st LIVEで、楓さんはいつか来る「終わり」を歌った。それは、このLIVEが「始まり」だから。

Kaede Higuchi 1st LIVE、楓と美兎によるデュエットの二曲目「命に嫌われている」では、曲の最初と最後に二人が死生観を語る音声が入れられていました。そして、曲の最後には楓さんが美兎さんに「生きろ!」と語り掛け、美兎さんが「楓ちゃん、ありがとう」といい舞台を去ります。
前日の配信で、美兎さんが「自分ではしない気恥しい演出」を楓さんが入れていたと語っていたので、この演出は恐らく楓さんによるものでしょう。
楓さんは、なぜこの1st LIVEで死を語ったのか。

1st LIVEのアンコール曲2曲目、一番最後の曲に歌った「奏でろ音楽」。
LIVE名の「KANA-DERO」の由来ともなったこの曲には、いつか来る終わりを想起させるような歌詞があります。
「いつか音楽は止むから 最高のフィナーレ 一緒に奏でよう」
楓さんは、なぜこの1st LIVEで終わりを歌ったのか。

「何もなかった私」

楓さんの人生は音楽とともにありました。両親は二人ともドラマー。3歳でピアノをはじめ、小学校に進むとトランペット奏者に。中学・高校と吹奏楽部に所属し、趣味でも様々な音楽を聴いています。老後も音楽がやりたい、と語ったこともあります。
ですが、楓さんは一度音楽人生を諦めています。
進学先をどうするかと聞かれて、彼女は「音大は高いしレッスンも大変だから」と言って他の大学を例にあげました。将来の夢を聞かれて「何もない」と答えています。
中学生の時、尊敬する先輩が音楽を究めるためにひたすら練習する姿を見て、「自分には無理」だと畏怖し、先輩が芸術系の学校に転校する姿を見送りました。
楓さんは音楽を究めることを諦め、趣味として続けることを選びました。
それでも、音楽への憧れと畏怖を抱き続けました。

そんな楓さんはバーチャルライバーを始めます。始めた理由は「マビノギを広めるため」。
マビノギはご存知の通り、大人気「だった」ネットゲームです。今はブームが去り、ゆるやかな「終わり」を迎えようとしています。
楓さんは9年間、このゲームをプレイしています。「このゲーム以外に語ることがない」「もう一つの人生」だと自身が語るほどです。
そのマビノギをもう一度流行らせたい。そう思いバーチャルライバーを始めた楓さんですが自身が「需要がなかった」と語った通り、大きな波とはならず、4月頃には配信をやめてしまいます。

ラブライブサンシャインを見た楓さんは言います。「同じ世代の女の子が、こんなに頑張ってるのに、私はなんで楽器しかしてないんだろう。ゲームしかしてないんだろう。」

音楽もマビノギも、彼女の未来にはありませんでした。それがライブの終わりに書いたメッセージにある「何もなかった私」です。

新たな音楽人生のはじまり

その楓さんが、Zepp Osaka Baysideでライブをしました。多くの「彼女のための曲」に加え、「ファンのための曲」を持って。
それは様々な「魔法」によるものです。
Vtuberブームに乗ったにじさんじのヒット、ブームをけん引した月ノ美兎をはじめとする仲間の存在、iruさんのMoon!!からはじまるイメージソング文化、数多くの樋口楓ファンメイドソング、そしてファンメイドソングを歌う楓さんに感動し2000人という箱を満杯にしたファン、ライブ実現に協力したいちからをはじめとした多くの企業、楓さんが歌いたかったファンのための曲を作った作曲家の方々。
あらゆる人々の努力によって出来た魔法によって、ライブは実現しました。

楓さんはライブ直前のインタビューに、こう答えています。

──バーチャルライバーとしての活動の中で、「音楽」がそれだけ大きな存在になっているのですね。

樋口 はい。「音楽活動と言えば、でろーん」と思っていただきたいなって。

一度諦めた音楽人生が、このライブから再びはじまります。
1st LIVEは文字通り「はじまりのライブ」なのです。

はじまりだからこそ、おわりを歌う

「いつか音楽は止むから 最高のフィナーレ 一緒に奏でよう」
――奏でろ音楽より

「はじまりのライブ」で楓さんは、いつか来る終わりを歌いました。

私は、その様を見て一つ思い出したことがあります。それは、2016年にプロ野球選手を引退したハマの番長こと三浦大輔投手の引退試合とデビュー戦です。
三浦投手のデビュー戦は、彼の先輩である偉大なエース遠藤投手の引退試合でした。
華々しいプロ野球の世界でも、引退試合が行われるのはごくわずかで、多くのプロ野球選手は胴上げもなく、静かにプロ野球の世界を去っていきます。
そんな世界で遠藤投手の華々しい引退試合を間近で見た三浦投手は、「自分もいつかこんな風に引退を惜しまれる投手になりたい」と思ったといいます。
その25年後。プロ野球選手でも異例の長さの現役を続けた三浦投手は、プロ野球界でも類を見ないほど盛大な引退試合に立ちます。
彼が野球人生で横浜の街には、あちこちに背番号である18が掲げられ、球場だけでなく街全体が三浦投手の引退を惜しみました。

はじまりがある以上、終わりはいつか来ます。
その終わりを「最高のフィナーレ」にしたいと願うことこそ、一日でも長く活動を続けること、前へと進む力になるのではないのでしょうか。

生きた人間である樋口楓

かつて楓さんは「第二の樋口楓」について語ったことがあります。
自分がいなくなり、代わりの誰かが樋口楓として現れたら、どうなるだろうか、という話です。
これを聞いた凛さんは「楓さんは楓さんです」と怒りました。リスナーの多くも同じように怒りました。
彼女こそが「樋口楓」だと認めていたからです。
彼女が新たな音楽人生を始められたのは、彼女が「樋口楓」として多くの人に認められ、支えられたからです。
樋口楓として周りから認められることで、樋口楓は「人生を持つ生きた人間」として存在しています。

楓さんと美兎さんは死を語ります。では、バーチャルな存在にとって、死とは何でしょうか。
人々に認められて「生きた人間」になったのであれば、人々から忘れられることが死なのではないでしょうか。

「時の流れはとても速くて、いつか忘れてしまう時が来るかもしれません」

こういったことは常々、美兎さんも口にしています。

もちろん流行りがあれば廃れもあります。あるいは「樋口楓」という存在も、長い時が経てば、マビノギの様に、ゆるやかに時の流れの中で忘れられていくのかもしれません。
「樋口楓」という存在が忘れられること。それは樋口楓の死を意味するかもしれません。
彼女たちが死を語るのは、生きた人間だからです。生きた人間はいつか死に、忘れられていきます。
それは悲しく、恐ろしく、そして避けられないことです。そこに「救い」はないのでしょうか。

祈りと救い

アンコールの1曲目で歌われたWISH!を作詞作曲したSenaruさんは、これを「祈り」だと言いました。
そして、この曲が完成し公開された時、それを「救い」だと言っていました。

「時が流れ大人になっても 思い出の数だけ強くなる ってのは完全に僕の祈りの歌詞で」
「でろーんってこうその辺の人より何倍もこう人が経験できないような事をしてるわけで、やっぱただそのまま大人になるんじゃなくて、みんなの思い出が力になってくれればいいなぁって言う」

Vtuberブームによって生まれ、人々に認められ、そして、いつかは忘れられ、消えてしまうかもしれない樋口楓という存在。
今は当たり前のように存在していても、いつか終わりは来ます。楓さんが引退した後、楽しかったこと、頑張って応援したこと、それまでしてきたことの全てを忘れていってしまうのでしょうか。それでは救いがなさすぎます。
だから、終わりが来ても、今この瞬間が消えてなくならないように、無駄にならないように「強烈に記憶にとどめる」こと。それが「救い」ではないでしょうか。

WISH!は、楓さんに歌われ、楓さんと人々の心に残りました。それはまさしく、Senaruさんの祈りに対する救いです。

記憶の絆ー死の先のある救い

「時の流れはとても速くて、いつか忘れてしまう時が来るかもしれません。
 それでも私は、今日という宝物をプレゼントして下さったみんなのことを
 "魂"に刻み込み、前へ進み続けます。
 これからも成長し続けるから!!
 みんな一緒に進もう!!ありがとう!!」

ライブ終了後のメッセージに書かれた言葉。これは救いの言葉です。

今日のライブは記憶として魂に刻まれ、無駄にしない。
私たちファンが忘れても、樋口楓が樋口楓でなくなったとしても、魂は覚えているから。これまでの歩み、これからの歩みは絶対無駄ではないから、着いてきてほしい。

終わりの先を見据えた樋口楓からの、救いの言葉。そして、力強いはじまりのメッセージです。

そして、楓さんはライブ直前のインタビューで楓さんはこう答えています。
「1/12を忘れないで」

楓さんが1/12のライブを魂に刻み、忘れないように、ファンも1/12ライブを忘れないでほしい。
その「記憶の絆」が救いになるはずだから。

バーチャル世界に生きるリアルな人間「バーチャルライバー」

このライブでは、これまで感じていた彼女の「生」が一層はっきりと感じられました。彼女は「樋口楓として確かに生きている」と。これこそまさしく、バーチャル世界に生きるもの(liver)「バーチャルライバー」です。

年表を作るということ

最後に、私の作っている樋口楓年表のことを。
年表もまた「祈り」です。

この正月、私はとある神社で神主さんから「祈りとは何か」について教えてもらう機会がありました。
その神主さん曰く、

商売繁盛や学力向上など、色々な祈りが今はありますが、それらは長い時の中で細かく分かれていったもので、大元は「太陽が登ってほしい」「食べ物があってほしい」という「当たり前のことが、明日も続くこと」を願う事が祈り。当たり前のことは、いつか当たり前じゃなくなるかもしれない。だから祈る。

私はこう思います。
「当たり前のこと」とは、「樋口楓さんが生きていて、日々配信が見られる日常」です。
楓さんをはじめとするライバーが、毎日のように配信をし、楽しさを届けてくれる日常は、もはや私にとって当たり前のことになっています。
その当たり前のことが、これからも当たり前のように続くよう願うこと、それが私の祈りです。

毎日更新するこの資料に年表とつけたのは、この日常が1年、2年、10年、20年と長く続くことを祈っているから。
細かくメモを取っているのは、楽しかったこの日常を無駄にしたくない、いつか忘れてしまってももう一度思い出せるように、自分と誰かの救いにしたいからです。

まぁそれこそ、「長く続け」という目的に対しての手段としては、祈祷・まじないのような的外れなものかも、と思って続けていました。しかし、近頃は創作活動をされているファンの方(上で紹介したSenaruさんとか)から感謝の言葉をいただくこともありまして、本当にありがたい限りです。

このライブで、私も随分と救われました。なにせ、これから長く続く日常の「はじまり」がはっきりと示されたのですから。

ライブ翌日の18:00から、また楓さんが出演する生放送があります。もちろん、これも年表には書き記すつもりです。
この、とてもつもなく、素晴らしい、当たり前の日常が一日でも長く続くことを祈って。


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