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駒場祭所感 2019.11.24

駒場祭が終わった。
土日はUT-humanitasの『ジブン×ジンブン』展示に常駐しつつ、土曜はフィロムジカの喫茶で室内楽の演奏をした。

展示空間の設計に力を入れた(というか建築学科の人材を頼った)ジブン×ジンブンは来場者が1000人を超え、販売した会報もそれなりに売れたというところ。
あとは広報にもっと力を入れれば企画のプレゼンスも上がっていくだろう。

展示の内容に関して。
私もいくつか文章を寄稿した。来場者からの反応が聞けたのは嬉しいポイント。とくに建築学科の方ふたりにお褒めいただいて、ああ、こういうものが建築家の感覚に響くのだなあと掴んだものがあった。
というのは、私は表象文化論が専門と銘打っていた、つまり歴史学とか教育学とか言語学といったような確固としたディシプリンを背景に語っていたのではない。そうすることの利点は、とても自由にものが書けるので、論の運びも自然と大胆になりやすい。から展示レベルの文章では「面白い」ものが生まれやすい。
それは何もいいことばかりではなくて、学術的にみて論理的整合性がどこまで担保されるのか甚だ怪しいものになりやすいし、あるいは使う語彙や概念の体系にディシプリン固有のものがないのでどうしても他分野から「借りてくる」ことになって、文の強度が落ちる。
この点が強みにも弱みにもなり得る、つまり建築家には相性よく、私のなかの懐疑的な部分にはいまだに受け入れられないものがある。(自分で書いてるのに。)

建築家も何かを語るときに、言語体系(ランガージュとでもいうもの)を他分野から借りてくることはままあることだ。(それは建築を実学ではなく芸術として位置付けようとする理論的戦いの長い歴史に由来していると私は思う。)
だから私の「表象文化論」などという曖昧な専門と相性が良いのだとも言える。

とにかく、素直に喜べないのは、私がまさにこの専門の曖昧性に苦しみ続けているからで、早いところ西洋史研究と建築史研究と美術史研究(それだけでも横断的かもしれないけれど)このあたりのディシプリンに接近して絡めとられてみたいという欲望。
勉強あるのみ。

夜は打ち上げ、
うまい具合に内輪の馴れ合い感の薄いままで続けて行けたら良いのだけど。

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お金も欲しいですがコメントも欲しいです。