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拙くても少しずつでも_映像研には手を出すな!

冬アニメのなかで刺さりに刺さったアニメ版「映像研には手を出すな!」の話を、あらためて。

初めて映像研のマンガを読んだとき、私は「見える音声、聞こえる文字」にいちばんの衝撃を受けた。
登場人物のセリフや効果音の文字に、角度を加える仕掛け。あんな効果音見たことない。発明だと思った。
アニメ版では、設定担当・浅草の思い描く世界が、浅草の手描き線や声で表現されている。自分の頭のなかの世界の様子や音を仲間に伝えるためには、自分で描いて声を出す。浅草を演じた伊藤沙莉さんが発する、声というより音の芝居がしばらく脳内で響いた。沙莉さん、しゃべる芝居もむちゃくちゃいいのだけど。
この「声の効果音」は、原作で震えた「見える音声、聞こえる文字」の「映像化」にあたるのかもしれないと感じました。

こうした「見せ方聞かせ方」と「お話」のどちらにも細かい仕掛けがたくさんあって、最初はどれが何かわからないまま「わーーすごいーなんだこれーー」と浴びていたのです。
あらためて考えてみる。どこに惹かれたんだろう。

自分が考える最強の設定を形にしたい人、細かいこだわり満載の絵を動かしたい人、渉外してお金を回し仕事を作る人という高校生3人がアニメ作品の制作を手掛けていく、というストーリーの上で「登場人物が制作に取り組む姿」と「登場人物の頭のなかの世界」が描かれ、さらに「頭のなかの世界を作品の形にするプロセス」が、実際のアニメ制作技法によって目の前に現れる。
【「《頭の中の世界》を作品にする話」のアニメ化】を観る…という構造になっていて、どの層にも細かい要素が仕込んである。
普段観ている「完成したアニメ」には残らない、下書きの補助線や文字が動くところも、何度も止めて観返しました。

こうした構造を持つ作品だから、マンガ、実写映画、アニメという媒体による表現の違いが際立つだろうな。実写版も気になっています。

「動かす人」こと作画担当・水崎が、人間の動きを細かく分解して絵に落とし込む様子を描いた7話が好きです。特に、立つ、座るという動作の分解。そしてこの回で、私が何に惹かれてアニメを観ているかについても気づかされた。水崎のセリフを引用します。

「チェーンソーの振動が観たくて死にかかっている人がいるかもしれない。私はチェーンソーの刃が跳ねる様子を観たいし、そのこだわりで生き延びる。大半の人が細部を見なくても、私は私を救わなきゃいけない。
動きのひとつひとつに感動する人に、私はここにいるって、言わなくちゃいけないんだ」

7話はアニメオリジナルの冒頭シーンから感動しっぱなしだった。ストーリー、絵、演出、カメラワーク、人の表情、音、声…といった要素が複雑に組み合わさるアニメーションの世界では、絵に描かれないものは「存在していない」ことになる。こだわりの末「これだ!」と要素ひとつひとつを選んだ作り手の存在を感じると嬉しい。
作品の世界に浸ってストーリーを追う自分と「いろんな人の仕事」を楽しみにする自分が一緒に観ているような感覚。これからも、何層もの仕掛けを掘り当てては感動したい。
ありがとう水崎。私も救われた。

一方「映像研」のストーリーを追う側の自分としては、自分自身も「こういうものを観たい聴きたい」「あんなこといいなできたらいいな」を少しでも形にしたい…と熱くなりました。
「頭のなかを形にして外に出す」というのは、創作活動や仕事などに限ったことではないですね。家族と話す、ごはんをつくるとか、そういうことをひっくるめたものだと思います。

いつだって頭のなかの世界は自由で、ものづくりはひとりぼっち。だけど、拙くても少しずつでも、自分の頭のなかを表に現したい。登場人物たちのような「圧倒的な熱量のものづくり」に吹き飛ばされながらも、自分の外に向かって手を伸ばしたい。

テーマ曲も良かった。オープニングはchelmico。
OPとPR動画はこちら。

エンディングは神様、僕は気づいてしまった。
いつ聴いても走り出したくなるなあああ。

やっぱり映像研の感想だけモリモリになってしまった。
その他、観たアニメ2020冬についてはこちらにまとめました。


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