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なぜ海外移住するのか(したいのか)を深掘りする

日本じゃだめなのか?

 人それぞれ理由はあるでしょうが、そもそもなぜ海外移住するのか、したいのか、を考えると自分の場合は明確にこれだ!ってのはない気もしてきます。ただ、ぼんやりこのまま今の会社で定年までいることはないよな、という確信めいた気持ちがあって、ふと自分自身の人生を生きていないような感覚に襲われることがしばしばあります。
 間違いなく東京は性に合わないですね。人が多くてゴミゴミしていて常にギスギスしているこの感じ。まだ東京で消耗してるの?と聞かれても、はい、擦り減らし続けてますとしか言えません。で、煽り文句に乗っかるわけじゃないんですが、国内の地方に移住したらどうなのよ?と考えてみたりすることもあります。国内なら言葉や文化の壁もほぼないしその分仕事だって見つけやすいし。地方の中核都市なんかよさそう。札幌、仙台、広島、福岡、とか魅力的かも。瀬戸内なんて海も山もあっていいんじゃないだろうか。
 でもなんか違う。日本と海外は何が違うのか。

海外にあって日本にないもの

 海外に行くと私はただのアジア人です。年齢も、仕事も、結婚してるかどうか、子供がいるかどうかも周りからはわかりません。つまり日本にいるときに背負っている色んなものから解放されるんです。なんというか、心の底から自由になれる感覚があるんです。そして周りも色んな型に嵌めた見方をしません。
 初めてアメリカ出張に行ったときに現地の人たちと仕事をして「あ、自由ってこういう感覚なんだ」と自分の中で変化が起きたのをよく覚えています。たったの1週間でボストンとシリコンバレーを周っただけで拙い英語で他の英語ができる人に手伝ってもらってばかりだったけれど。日本にいるときは地方であってもこの感覚は起こらないんですよ。日本で誰かが自分に何かを強制しているということはないにもかかわらずです。今の会社で定年まで働けとか出世してお金を稼げとか家を買えとか誰も強制していません。でもこういう価値観や考えに縛られて生きてるんです。ということは結局は自分の中の問題なのかもしれません。自分自身が今まで生きてきた中で築き上げた価値観や固定観念に縛られているだけなのかもしれないと思ったりもします。実際、東京であれ地方であれ自分のやりたいことをやりたいようにやって生きている人はたくさんいるわけで、結局海外行きたいなんて自分探しの戯言なんじゃないのか?と思い悩むこともしばしばあります。

海外移住は自分探しなのか?

 自分探しって何だろう?よくあるのは世界を旅して自分自身を見つめ直してやりたいことや学びたいことを探すって感じでしょうか。自分の場合はもう何年も日本で会社員をやってるわけで、ある程度専門性というか業界とか職種なんてのは「この範囲」ってのが既に決まってます。特にそこから外れたいとも思わないし何か不満があるわけでもありません。会社そのものは大いに不満だけどね。そう思うと自分を見つめ直して~とか自分のやりたいことは何なのか~みたいなことはあんまり考えることではなさそうです。言ってしまえば「家族と一緒に自由を感じながら生きる」ということがいちばん達成したいことなんです。自由を感じながらと言いながらも仕事をしないわけにはいかないです。そのために自身の専門性を高め会社の都合や世の中に振り回されないようにキャリアを歩めるようにしていく、それが自由を得ながら生きるってことですかね。海外移住はそのための手段に過ぎません。問題はどこでどんな暮らし、仕事をすれば「家族と一緒に自由を感じながら生きる」が実現できるかということです。

奥さんの影響

 私の奥さんは海外で生まれました。中学生になるまで現地の学校と日本人学校と行ったり来たりしていたようです。そういう意味で奥さんからの影響も多分にあります。本人がそういう環境で育ってきたせいもあり、私が感じていることも十分理解してもらっていますし、将来子供ができたら世界中どこででも生きていける力を身につけさせてあげたいな、とも思います。


 あんまり深掘りしたとは思えないんですが、ずらずら書いてみるとこんな感じです。こういうふうに海外移住のことを考えるのはワクワクする時間でもあり、不安になる時間でもあり、注いだエネルギーが無駄になりませんようにと切に思います。ではまた。

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