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「タッカルビ」と「ダッカルビ」の理不尽の味。

どっちが正しいの?

数週間前にあった、我が家での論争。
「ダッカルビ」と譲らない夫。
「タッカルビ」と譲らない娘3人。
わたしも「タッカルビ」を押したが、別にどちらでも。

実際、どちらでも正解らしいので、何の意味もない論争だったが。


そして昨日。

「タッカルビ」を精肉コーナーで見つけた!
味付けされた鶏肉にチーズソースが添えられていた。


家族で買い物中、それを見つけた夫が、
「ほら、タッカルビ!」と。


(;゚Д゚)(;゚Д゚)(;゚Д゚)!!!


すかさず娘3が、「パパはダッカルビって言ってたやろ!」

そしてそれを聞いた夫、なんと!
「パパがタッカルビと言ってた!娘3がダッカルビと言ってたやろ!」と。

(;゚Д゚)(;゚Д゚)(;゚Д゚)!!!!!!


「違うっ!パパがダッカルビって言ってた!ウソつき!」
あ~ぁ、娘3、言っちゃったよ。
キミが正しいが、、、


スーパーで押し問答の抗争勃発。


「俺が間違えるわけないやろ!親に向かってウソつきとは何だっっ!!」


お互い譲らぬ態勢に突入。
夫は自家発電でどんどんぼうぼうメラメラ燃焼はじめ、
娘3は目に涙をためながら体を強張らせはじめ。。。


こりゃいかん、と、駆け付け、
「パパはタッカルビって言ってたんだよね、分かったよ」と、その場を何とか納め、娘3の肩を寄せて引き離した。


こういうことは、本当によくある。
言った言わないは、本人同士が自分が正しいと思い込んでいるという意味で、どちらかが譲らなければどこまでも平行線。どちらも「自分が正しいことに間違いないのにそれを認められないこと」を理不尽だと感じ、その悔しさは筆舌に尽くしがたい。


夫がいない隙に、娘にはこう伝えた。

「パパはね、本当に自分がそう言ったと信じ切っているんだよ。だからね、まずはパパはそう思うんだね、って、認めてあげようよ。」

「そしてね、娘3が言っていることは正しいよね。それはママも、お姉ちゃんも分かっているよ。パパが認めなくても、娘3のことを信じて、分かっている人がいるって思うと、やり過ごせそうじゃない?」

「どうしようもないことって、どうしても起っちゃう。
そういう時、ただその場を、できるだけ楽にやり過ごす考え方を知っておくのも、いいかもしれないね。」


小3になった娘は、わーーーっと泣くことはずいぶん減った。口をぐっと結んで、奥歯をかみしめ、目にたまり切った涙がつーぅっとほほを伝う、そういう泣き方をするほど、成長した。


夫の前で泣き出すと、泣けば泣く程夫が怒り出すことを身体が覚えている。
その場ではこぶしをぐっと握り締め、こらえる涙があふれることに気付かれないように必死に目を見開いている。

そうだね、悔しいよね、よく耐えたね。
胸がぎゅーーーーっぅと締め付けられる、悔しく、苦しい感情。


その感情から逃げずに、しっかりと味わってほしい。

だから、悔しいよね、苦しいよね、どうしようもない気持ちね、と、感情を言葉に変えて言いながら、寄りかかってきた娘の背中を何度も何度もさする。


誰か一人でも、信じてくれる人がいる、という安心感を、娘3の体にしっかりと染み込ませていく。


あなたも誰かのそういう人になれるといいね、と、つぶやいてみたけど、それはまだ先の話かな。

これまでの経験で、なんとか自分の役割に気づくことができました。与えられた役割を全力で全うするため、「わくわく」と「ドキドキ」のど真ん中を走ります。 サポートでの勇気づけ、素直に嬉しいです\(^o^)/