自分を愛する程度にしか他人を愛せない、を考えてみた。

先日の勉強会にて気になった言葉。

「自分を愛する程度にしか他人を愛せない」

F・フロム-ライヒマンのこの言葉。自分を愛せない人は、他人を愛することができない、と。
そして、自分を愛せる人は同じ程度で人を愛せる、と。


こんな声が上がった。
「私の知ってる方で、自分大好きな人がいるんですが、自分のことばっかりで、他人を愛しているようにはとても見えないんですけど。この言葉で解釈すると、自分を愛する程度に比例して、人を愛する程度も大きくなるんですよね?どういうことでしょうか?」



「自分大好き。」


素敵なことですね。


その人が「自分大好き」だと、あなたは思っているんですね。

どうしてそう感じるのでしょうか。その根拠は何ですか。

「自分大好き!」と言っているからですか?「自分のことばかり話すから」ですか?「自分の自慢ばかりするから」ですか?「自分に注目してオーラを出している」からですか?


あなたが、その人が「自分大好き!」だと考える根拠は、本当にその人が「自分を愛している」こととイコールでしょうか?


「自分を愛する」ことは、「ありのままの自分」をただ静かに受け入れることです。深く深く、どこまでも否定せず、全ての感情と身体のすべての部分を愛しむことです。苦しみも、悲しみも、楽しみも、喜びも、恐れも。失敗も、成功も、怠惰も、努力も、才能も、無能も。どんな自分にも、良い、悪い、短所、長所の優劣をつけず、どうにかしようとさえ思わず、ただ、今、この状態で在る自分を、受け止め、認め、有難いと感じることです。


それは、とても静かで、穏やかで、安らぎと、平安と、慈愛に満ちた、とても温かい状態であるように感じます。



あなたが「自分大好きな人」と思う人が、「自分大好き!」と言ったのをあなたが聞いたなら。そのこと自体は「事実」ですね。


その方は本当に自分のすべてを愛している方かもしれません。
すべてではなくても、少なくとも自分の愛すべき部分を知っている方でしょう。

それはとても素敵なことです。


ただ、その方が本当に自分のことを愛しているかどうか、は、想像の域を超えます。

その方が、自分を愛しているのか、愛していないのか、他人を愛せているのか、愛せていないのか、その程度がどの程度なのか、その愛がどんな形なのか、あなたには到底分からないことなのです。



そして確実に分かっていることは、その方が、他人を愛しているようには見えない、と感じている、あなた自身の気持ちです。


想像することで分かるかもしれないから、分かる努力をしてみようと思うなら。
どこまでも憶測にしかならない他人のことより、自分のことの方がよいかもしれません。想像し、合ってるかどうかは自分で確認します。

すると意外と、自分のこともよくわからないことに気づきます。
なら、なおさら他人のことはよく分からないないわけで。


あなたは、自分のことを愛していますか?
あなたは、自分のことを愛する程度に、人を愛していますか?


「自分を愛する程度にしか他人を愛せない」が、あなたに当てはまりそうですか?


世の中の格言や偉人の言葉が、すべてその通りだと考える必要はありません。自分の頭で考え、心で感じ、試してみて実感し、違和感があったら別の方法を試す。その繰り返しをすることでしか、納得感の芽生えはないのではないでしょうか。

これまでの経験で、なんとか自分の役割に気づくことができました。与えられた役割を全力で全うするため、「わくわく」と「ドキドキ」のど真ん中を走ります。 サポートでの勇気づけ、素直に嬉しいです\(^o^)/