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アリー404 ⑻ パン屋の金魚と天使の秘密

今日は来るかな。

最近このアリー404に越してきた、アトイさん。
私の店でも常連客のみんなが気にしている。

「ロンさん、今日はアトイさん来ました?」

「アトイさんと話しました?」

「船着場のバーで会いたいって言っておいてください!」


ここがパン屋だから仕方ない。

正確には、金魚がいるパン屋だから、というべきか。

みんな信じないが、ある日の朝早く、急に天井付近の空中から金魚が落ちてきた。
私は慌ててその金魚を水の入った器に入れてやった。

その金魚が来てから、この店に来る人が増え、ここの住人にはいつでも会えるようになった。

ここはアリー404。
誰かと会うためにはコツがいる。

でもこの店の中でなら、コツを知らなくても住人同士が会える。
確証はないが、私は金魚のおかげだと思っている。
詳しいことはいつかノンカラさんがケンサクしてくれるのを待つしかない。

アトイさんは私より少し若い、メガネをかけた女性だ。
ある日ふらりとやって来た。

この店の扉は開けると「カララン」と音が鳴る。
その日も私はその音を聞いて反射的に

「いらっしゃいませ〜」

と言ったのだった。
それからお客の方を見た。

「おや、見かけない顔だね。道に迷ったの?」

最近は路地裏がブームで、昨日も迷子になった訪問者が来たばかりだった。

「いえ、最近この近くに越して来たものです。」

もしかして、あのあれに載ってた新しい住人⁈

「あーーー…あのジャーナルの…なんだっけ?」

「あ、アトイ…さん?」

店の中にいたハニカミ屋が、珍しく声を出した。

「あ、はい、うっかり屋のアトイです…」

「へー、あなたがアトイさん!私はロージー。見ての通り、パン屋だよ。よろしく。」

次はあなたの番だよとハニカミ屋の方を見ると、俯いて店の隅へ行ってしまった。

「はは…あの人はハニカミ屋で恥ずかしがり屋さんなんだよ。許してあげて。」

そういうとハニカミ屋はうんうん、と首を小さく縦に振った。アトイさんも笑顔で頷いてそれに応え、私に言った。

「はい、よろしくお願いします。ロージーさん…お店の名前と、同じなんですね。」

店の看板も見えたのなら本当にここの住人に違いない。

たまたまここに来てしまった訪問者には、この路地裏のそこかしこにある看板すらなかなか見つけられないという。

問題はその後起きた。

「ふふ…金魚がいるパン屋さん、本当にあったんですね。もしかしておやじさんもいるんですか?」

アトイさんは、カウンターに置いてある金魚鉢を眺めてそう言った。


「え……なんのはなしですか…」 


私は最近流行しているという『なんのはなしですか』を表の路地裏で見てきたばかりだったので、ついついうっかり口走ってしまった。


というのも、私は昔両親がしていた変な話をずっと忘れられずにいるからだ。

うちは昔パン屋ではなかったはずだ。
しかし急に父がパン屋を始めると言い出してうちはある日突然パン屋になった。

父のパン屋はそこそこ順調に繁盛した。

すると父は、今度は急に金魚を飼いたいと言い出した。

「食品を扱うのに不衛生だわ」
「餌はパン屑でいいって、そういう問題じゃないの」
「金魚はほっとくとどんどん大きくなるのよ」

パン屋を始める時には何も言わなかった母は、なぜか金魚についてはいろいろな理由をつけて反対し続けた。

父は「1匹だけでいいんだ」「1週間だけでもいい」などと言って譲らない。

発端は金魚だ。

大の大人が、金魚の話でなぜここまで揉めるのか。

夕方に店を閉めると毎日のように夫婦喧嘩。

ある時から晩ご飯に魚が出なくなり、金曜日は母は無口になった。 

私は母に聞いた。

「どうして金魚を飼っちゃダメなの?」

「『パン屋のおやじ』が金魚を飼うと、いずれ朝早くに死んじゃうのよ。そんなのかわいそうでしょう?それにお墓も建てなきゃいけないし。しかも川の近くなんて。結局あの人は何もわかってないのよ。」

私には、母の話もさっぱりわからなかった。

喧嘩の原因が金魚である、ということ以外は。

そして半年ほどたったある朝早く、母は家を出たきり戻らなかった。

はっきりとした理由はよくわからないが、私は、『パン屋のおやじ』が金魚を飼うのは母が家を出て行ってしまうくらい大変なことなんだと思った。

だからそれきり金魚の話はしなくなった。

その後も父は黙ってパン屋を続けた。
金魚を飼うのは諦めたようだった。

それから3年近く経った。
私は父には何も聞けなかったが、母はもう戻ってこないんだとようやく思えるようになった。

ある夜、思い切って父に聞いた。

「どうしてあの頃、金魚が欲しかったの?」

「…本当は今でも欲しいさ。『パン屋のおやじ』が飼っている金魚が朝早くに死んだ時、その金魚は天使になるそうだ。お父さんはそれを見てみたい。
……だってパン屋の朝は早いだろう?」



父の話はさっぱりわからなかったが、『パン屋のおやじ』の金魚が朝早くに死んでしまう、という内容で母と同じ話をしているらしいことはわかった。

それから3ヶ月くらいたった。

私は、「今夜はカレーライスが食べたい」と同じトーンで「金魚が死んで天使になるのを見たい」と言った父と、普通に暮らせなくなった。

どう考えても、やはりこれはおかしな話だと思えるくらいには、私は大人になっていた。

そしてある朝早く、私も母と同じように家を出た。
母も母なりにこんな気持ちだったのだろうか。


私は結局、2人の話がまったくわからなかった。


はっきりしているのは、こうなった原因は『パン屋のおやじ』の金魚の話のせいだということだけだった。



私は家を出て、辿り着いたこのアリー404でパン屋を始めた。


そして何年かたったある朝、金魚が突然落ちてきた。
だからずっと金魚を飼いたがっていた父のかわりに、私がその金魚を飼うことにしたのだ。


でも私は、金魚が落ちてきたこと以外……
両親のことを他人に話したことは一度もなかった。

アトイさんは、静かに昔のことを思い出していた私に、「すみません…変なことを聞いてしまって…」と謝ってきた。


私は、何事もなかった風を装って、ここにはおやじさんはいないこと、その金魚はどこからともなく急に落ちてきたことを簡単に話した。


金魚が落ちてきたなんて!と言われるとばかり思っていたが、アトイさんは全然違うことを言い出した。

「パン屋さんと金魚っていう歌を知っていますか?」と問いかけてきたのだ。

もしかしたら、あの話なのかもしれない。
でも、違うかもしれない。

「いえ、知らないです。」


何にせよ、私は知りたかった。
父と母が話していた話の全貌を。
違う話だったとしても、何かの参考にはなるかもしれない。

「昔、金魚が好きなパン屋さんのおやじさんがいたんです。
そのおやじさんは大好きな金魚を大きな瓶に泳がせて、王子様よりもたくさんのご馳走を食べさせるくらいかわいがっていました。
その金魚は挨拶が上手で、ぽちゃりと跳ねてご機嫌いかがと言ってみんなを喜ばせました。
でもある朝早く、金魚は死んでしまったんです。
おやじさんは小川の近くに金魚のお墓をたてました。
すると大臣も来て、お墓の前で金魚のために演説をしたんです。
それから金魚はやがて天国に行き、しっぽの生えた天使になりました。

っていう歌の話です。話が先かもしれませんね。そういう歌があるんですよ。」


話を聞き終えた私は、これこそ両親の話していた金魚の話だと確信した。
同時に、気が抜けた。

認めたくはないが、父も母も、どうかしていたとしか思えない。
ただの歌の話を信用していたのか。
信じていたから、喧嘩になったんだろうか。

それでもよく考えればわかる話だ。
この話は別にパン屋さんじゃなくてもいい。
それに金魚が死んでしまうのは誰のせいでもない。
最終的に金魚は天国に行ってから天使になるのだから、朝早くに起きたって父は天使には会えない。

私にとっては、あと少しだけ考えたらわかることを考えずに喧嘩をしていた2人の方が、金魚が天使になることよりよほど不思議だ。


そもそも、金魚がいるかいないかは、私にとってはどうでもよかった。


うちのパンが焼ける時のいい匂い、ありがとうって言って帰っていくお客さんの笑顔。

私はそれがあればいいと思っていた。

もしも叶うなら、金魚のことで喧嘩をしない両親がいたらこの世は最高なのに、とそれだけを願っていた。

うちの両親は、なぜあそこまで真剣に、人生をかけてまで、よくわからない金魚について口論していたのだろうか。

そして私はなぜこんなに長い間、そんなことを考え続けていたのか。

「君もいつかしっぽの生えた天使になるのかな?それともおやじさんがいないパン屋さんの金魚はしっぽのない普通の天使になるのかな?もし天使になったらこのパン屋さんのことを見守ってくれるのかな?」

アトイさんは、話を聞き終えて呆然と立ち尽くす私をよそに、そう言って真剣に金魚に話しかけていた。

「へぇ…変わった歌があるんですね…」

父はあれから金魚を飼えただろうか。
天使に出会えたのだろうか。

母は金魚の話をしない人と出会えただろうか。

今は父も母もいない、このnoteと呼ばれる世界の辺境の路地裏で、私が金魚のいるパン屋をやっていると知ったらあの2人は何というだろう。


「ロンさん、この金魚の名前は何ですか?」

不意にここにいない人の名前を呼ぶアトイさんに私は戸惑った。
もしかしたら…私のことか?

「…ねえ…待って。ロンさんって、私のこと?」

「あ、はい。すみません…嫌ですか?」

「まあ、別にいいけど。それに金魚に名前はつけてないよ。名前なんて、そこまで大事なことじゃないと思うし。」

と、口では言ったが、いつもと違う名前で呼ばれるだけで、違う人になった気になるのはなぜだろう。

「ロンさん…ロージーさんがロンさんって…ふふ…ははは…」

隅っこにいたハニカミ屋のツボにはなぜかハマったらしく、彼は笑い出した。

「ロンさんのところの金魚だから、ポンとかカンとか…ふふ、ははは…」

「うちは雀荘じゃないんだよ。まったく。」

しかしいつもおとなしいハニカミ屋がこんな風に冗談を言って笑うのは初めて見た。

「天使じゃなくて、スイミーかもしれないですね…黒い斑点模様もあるし。ふふふ。」

アトイさんはまたよくわからないことを言っていたが、悪い人ではなさそうだ。少し変わっているかもしれないが、少なくとも金魚のことで人生を変えるほどおかしな人ではないだろう。

その日はチョコチップクッキーとチーズパンを手にしてアトイさんは帰って行った。

「何か聞きたいことがあったらいつでもおいで。」

来たばかりの住人はここか船着場でしか他の人に出会えないだろうから。


それから何度かアトイさんはうちにきて、他の人と会う方法やこの路地裏のことをいろいろと知りたがった。
教えてあげたいのはやまやまだけど、それはできない。
私は多少のヒントと船着場の話をした。

店ではハニカミ屋が少しずつみんなと話すようになり、私のことをロンさんと呼ぶ人が増えた。

気分屋のレラさんは、アトイさんをホームに招待した話をわざわざ自慢しにきた。

そして私は、金魚のために壊れてしまった家族のことを考えるのをやめた。

うちの金魚は跳ねないが、相変わらずのんびりと泳いでいた。

ここはアリー404。
朝早くに死ぬ金魚はきっといないだろう。
でも、天使が空から落ちてくることはあるかもしれない。

店の外に、船着場の方へ向かうアトイさんが見えた。

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