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アリー404 ⑹ シッカリ屋も人間だもの

なるほどここがうっかり屋か。

シッカリとここへの訪問の準備を整えていた私だが、雨が降る可能性を考慮に入れていなかった。

この路地裏には、雨の日は通れない道がいくつかあるし、雨の日しか通れない道もある。

私は要するにうっかり屋への経路を考えた時点でうっかりしていたのだ。

しかしおかげで、元の計画よりもスムーズにうっかり屋に辿り着くことができたので、よしとしよう。

私はノックをした。

「どうぞ〜」

中から女の人の声がした。
私はドアを開けて挨拶をする。

「こんにちは。私、詳しいことは言えませんがここから87軒先にある角を左に曲がったところの近くから来ました。シッカリ屋の、カクカクシカジカと申します。以後お見知り置きを。」

完璧な挨拶のはずだ。
何しろ私はシッカリ屋なのだから。

「はい、よろしくお願いします。あ、傘はそちらへ。それで、えっと、なんとかかんとかさん?でしたっけ?なんとお呼びしましょう?」

…なるほど確かに。
彼女はうっかり屋というか、話を聞いていたのかどうかも怪しい。

いや、私が早口すぎたせいかもしれない。
私の名前が長いせいかもしれない。
濡れた傘を傘立てに差し込んで私は答えた。

「シッカリ屋とお呼びください。あなたはうっかり屋のアトイ・ポンカルシさんですね?」


今月の404ジャーナルに載っていた、新しいここの住人。
シッカリ屋の私がうっかり屋に行くのは難しいだろうと思っていた。
しかも、会うことはもっと難しいと思っていた。

ここはアリー404。
誰かと会うにはコツがいる。

「はい、うっかり屋のアトイです。あ、私のことはアトイさんでも、うっかり屋さんでもお好きな方でお呼びください。」

どうやら彼女アトイさんは根はしっかり者らしい。
だからこうして会えたのだろう。

「ところで、ご用件は…」

「用件というほどのものは特にございませんが、当方、シッカリ屋なので、なるべくこのアリー404の皆さんのことをシッカリ知っておきたいという気持ちで日々過ごさせていただいておりまして、アトイさんにもぜひお会いしたいと思っていたのです。」

アトイさんはメガネをかけた女性である。
うっかり屋であるというのは氷山の一角の可能性がある。
おそらくシッカリ屋の部分も持ち合わせている。

私は心の中にシッカリ書き込んでいく。

「そうですか。私も他の住人の方に会いたいのですが、なかなか会えなくて。」

アトイさんはまだコツを知らない。と。

しかしそれは教えられない。

「そうでしょうね。私もはじめはそうでした。」

「今は違うんですか?」

ああ、しまった。
なるほど。
うっかり屋の前ではうっかりしやすい。
…と。

「い、今もですよ。」

シッカリ屋の私が、自分の失言を誤魔化すなんて前代未聞。
穴があったら入りたい。
顔が赤くなっていくのがわかる。
ああ、もう帰りたい。
シッカリ屋なのにシッカリしていないと思われるなんて。

「…どうかしましたか?」

アトイさんの方がよほどシッカリしている。
私は自分を恥じた。

「だ、大丈夫です。私はシッカリしています。」

「それならよかった。」

私は深呼吸をしてなんとか自分を取り戻した。

アトイさんは普通の人である。
部屋の中を見回した。
なるほど。
本当に普通のうっかり屋なのだろう。
だいたいの雰囲気はわかった。

「では、今日はこの辺で。」

そう言って引きあげようとすると呼び止められた。

「あ、ちょっと待ってください。…シッカリ屋さん、なんですよね?」

「いかにも…」

「…どうしたら、また会えますか?というか、どうしたら、ここの人たちと会えるのですか?」

私はかつての自分を思い出す。

ここへ来たばかりの頃、同じ疑問を抱いていたこと。
偶然出会えた人にいつも同じ質問をしたこと。

しかし答えは皆同じだった。

「それは自分で見つけるしかないのですよ。」

「…」

アトイさんはあの時の私と同じように俯いてしまう。
しかし私はシッカリ屋だ。
シッカリなんとかしてあげなければ。

「でもヒントなら。それはここがうっかり屋だということです。」

アトイさんは顔を上げてくれたが、まだ少し考え込んでいた。

「大丈夫です。ここの住人は誰でもその答えを見つけられるのです。そういう人しか、このアリー404にホームを持てません。」

私はある人に言われた言葉をそのまま伝えた。

「…そうですか。」

「もし時間があるなら、船着場のトマリさんを訪ねるといいですよ。あの人にならいつでも会えます。答えは教えてもらえませんけど、ヒントならいくらでもくれますよ。」

私は落胆するアトイさんに、ある人に言われた言葉を再度そのまま伝えた。

今でもシッカリ覚えている。

しかし、ふと思った。
私はシッカリ屋だからシッカリ伝えておかなければと思った。

「…と、ある人に言われてトマリさんに会い、私はその答えを見つけられました。だから、今のはその人の言葉の受け売りです。すみません。」

「いえいえ、それはきっと…あなたがその、ある人、から受け継いだ言葉なんだと思いますよ。
それに、全部自分の言葉じゃなくても、伝えたいことが誰かに伝われば、それはもうあなたの言葉なんだと思います。ふふ…本当に真面目でシッカリ屋さんなんですね。
あ、ついでにもう一つ、いいですか?」

シッカリ屋だと認められてちょっと嬉しくなった私は、

「はい、なんでしょう?」

と答えた。

「相談なんですが…」

「お任せください、どんな相談にもシッカリお答えします!」

私は自信満々に答えた。


「私のことではなくて、友人の話なんですけどね。その人が

『こんな自分は本当は好きじゃない。もっと自分のことを好きになりたいのに、全然なれない。』

って悩んでいて………」


私は、その友人とやらの気持ちが少しわかる気がした。
私も時々思うのだ。

こんな自分は好きになれない。
もっと自分のことを好きになれたら、もっとシッカリ屋になれそうなのに。
実際の私ときたら。

うっかりもするし、シッカリできないこともたくさんある。

本当の意味ではまだまだシッカリ屋ではないのに、シッカリ屋と呼ばれることに時々罪悪感も感じてしまう。
もっとシッカリしなければ、と思ってしまう。
だから自分への戒めのようなものも込めて、シッカリ屋と名乗っている。
もっと、自分を好きになれたら。


「シッカリ屋さんなら、そんな人になんて言ってあげますか?」

シッカリ答えてあげたいのに、言葉が出ない。

私は、なんと言うだろう。

自分によく似た人に。

『無理しなくていいよ…』
なんか違う。
『いいところを探してみたら?』
これも違う…困った。
ああ、シッカリできない…こんなことではシッカリ屋でいられない…。

私が言葉に詰まっていると、アトイさんは言った。

「あ、答えは今じゃなくてもいいんです…次にその友人に会えるのもいつになるかわからないし…」

「…アトイさんは、なんて言ってあげたんですか?」

アトイさんは静かに窓辺の方へ移動した。
窓の外では朝から春雨のように静かに降る雨がまだ降り続いているのが見える。

「私も何も言えなくて…」

その窓辺の前の棚には2体の小さな人形がこちらを向いて並んでいた。
どこかのお土産だろうか。

アトイさんは私に背を向け、その人形たちをひょいと摘みあげるとその2体を向かい合わせにした。
そして続けた。

「でも、今度会えたらこう言おうと思うんです。」

見つめ合っている2体の人形を眺めながらアトイさんは言った。


「どんなあなたでも、私は好きだよ」


その言葉は私の心にこだまのように響いた。


なぜか涙があふれそうになる。
何も言えないまま涙をこらえた。

彼女がこっちを向いていなくてよかった。

ああ、シッカリしなければ。

どのくらいの沈黙があったのかわからない。


ずいぶん長かったかもしれないし、ほんの少しだったかもしれない。


私はなんとか涙を目の奥へ追い返した。

彼女はそんなタイミングで、独り言のように言った。

「…伝わるかどうか、わかりませんけどね…」

「…伝わります…きっと…」


私の声はどんな風に響いただろう。
自分の声なのに、自分じゃないみたいに弱々しく思えた。
もっとシッカリしなければ。


それでもアトイさんはくるりとこちらを向いて

「よかった、シッカリ屋さんにそう言ってもらえて。」

と言って笑ってくれた。


この人はただのうっかり屋ではない。
とんでもないうっかり屋だ。
この人の前では、ついうっかりしてしまう。


時にはうっかり自分をさらけ出してしまう。


そういう意味でのうっかり屋なのかもしれない。

「今度は私がシッカリ屋さんのところへ行きますね。えっと、78軒先を左に曲がるんでしたっけ?」

「87軒先ですよ。」

「あ、そうでしたね。今日は来ていただいてありがとうございました。」

「いえ、私こそ…ありがとうございます。また、会いましょう。」

アトイさんはうんうんと頷きながら

「ではまた」

と言った。

外に出ると雨はやんでいた。
路地裏の、雨上がり特有の空気の中、私の心にさっきの言葉が響き続ける。


「どんなあなたでも、私は好きだよ」


この短いフレーズを、ずっと私は聞きたかったのかもしれない。

また涙がこぼれそうになって思わず上を向く。
見上げた空には、綺麗な虹が浮かんでいた。

今度こそ、涙がこぼれた。
…シッカリ…しなくては。
でも私は前より少し自分を好きになれた気がした。


うっかり屋に傘を置いてきてしまったことも思い出した。でもきっと彼女が届けてくれるだろう。



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