5/19の日記と5/20の日記

御茶ノ水のリンガーハットで友人とちゃんぽんを食っていた。最近のツイッターはどこもかしこも大賑わいだという話になる。友人は「吐口を無くした人たちが騒ぎたがっているんだろうね」という旨の事を言っていた。出来事を客観的に説明しようとする態度は、聡明だと言っていい気がする。けれどそれはSNS上に渦巻く感情のうねりを相殺するには、些か心許なく感じた。対象と自分との間にあるかもしれない繋がりを躊躇なく切断する判断が、言葉から効力を奪っているようにも思えた。

後日、何故かライターの友人が前々からWEBに連載していたエッセーを急に読み返したくなった。既存の制度への違和感を指摘する言葉は書き手の切実なノレなさに裏付けされていて、言うなれば「血が通っている」。その真理らしさがこちらを動揺させるのだろう、結果私は扇動されたり、何かしらの行動を起こしたくなったりする。どうやら命がけの語りが心を打つのはどの芸事でも同じらしい。

ええ、だからどうってわけでもないですが。こういう差異が面白いわけです。

そして、5/20だけで12時間以上寝たと思う。

また明日。

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