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6/16の日記

借りたい本があった。今年の3月に亡くなった劇作家・別役実の戯曲集『木に花咲く』。その中に収録されている『赤色エレジー』という作品が読みたかった。当初は地元の区立図書館で借りるつもりだったのだけど、ちょうど図書館はコロナのためしばし閉館になってしまった。別に急ぎでもなかったのでそのままにしていた。そして緊急事態宣言も解除された先週の水曜日、いざ足を運んで資料検索をしてみるとその本はそもそも図書館に所蔵されていなかった。一度くらい事前に調べて確認していそうなものなのにおかしいな、と狐につままれたような気分になりながら大学時代の後輩Wに連絡を取った。大学図書館にならたしか探していた本があったと覚えていた。なので、まだ大学に出入りしている彼に本のPDFスキャンをとって送ってもらおうと思った。Wは見事に任務を遂行して、一昨日の夕方頃にデータを送ってくれた。彼はメールに次のメッセージを添えていた。「報酬の代わりと言ってもなんですが、感想みたいなものでもnoteか何かにあげたりしてくれませんか?日記の最終回が見たいです」。日記に最終回も糞もないだろ、という思いがないかといえば嘘になる。しかし満更でもないのもまた本当だから、というわけで何かしら書く。

自分は今年の2月までの1年間、昼間は会社員をして夜には老舗で有名な「劇団」に研究生として通っていた。研究生は全部で60人程で、演技部と演出部から構成される。演技部の研究生とは、つまり役者のタマゴだ。演出部は役者とは違い基本的に舞台には立たず、その分裏方仕事の全般を担う。テレビ番組のADを想像してもらえるとわかりやすいと思う。僕は演出部だった。研究生は1年間のカリキュラムの中で全3回の公演に携わる。その中から特に優秀だった者が「劇団」によって選ばれ、翌年以降のカリキュラムへと進級することになる。この選抜に落ちたものは研究所を「卒業」という扱いになり、以降の進路は本当に人それぞれだ。劇団を自分で立ち上げるものあり、オーディションを受け芸能プロダクションへの所属を目指すものあり。荷物をまとめ故郷に帰るものもいた。何となく東京に残ったものもいたと思う。結論から言うと、自分は研究所を「卒業」した。

この日記を書きだした頃には、実のところ目的のようなものがあった。劇団での日々を経ての考えを日記のどこかで書いておきたかった。けれどどうも上手い言葉が見当たらなくて、ズルズルと先延ばしにして今日に至る。文字にしようと試みたことはあっても、劇団での日々を「裁こう」としているのが行間からありありと伝わってきて、そんな文字列が粘着質な汚いものに感じられて、毎度全文を消すのに決まっていた。また困るのが、自分の脳裏を「じゃあ黙ってろって話だよね!」という言葉がちらつくことだ。これは、卒業公演の直前で心身を病んで研究所を辞めていった役者AがLINEの全体グループへ投下した長い長い最後の挨拶を評して、同じく研究生の役者Bが放った言葉だ。役者Aの投稿は一見愛想よく、別れを惜しむ調子で書かれていた。Aは上からも仲間からも好かれるような振舞いをしていた反面、孤立している噂も聞いた。僕は積極的にAを知ろうとしなかったし、だから実際がどうだったのかもわからない。ただ、別れの言葉の奥には文章を読む全員と他でもないA自身の不甲斐なさを呪う強い意志が塗りこめられているように感じた。Bはそれを嗅ぎ取ったんだと思う。念のため書いておくと、僕は役者Aの顛末を憐れみたいわけでも役者Bを非情だと責めたいわけでもない。ただ劇団での日々を書こうとする自分を意識すると、役者Aのことを思い出さずにはいられなくなる。何故黙っていられなかったのか、という質問への回答を用意しなければならないような気になる。だけれどそれに足る意見を結局今の自分は持ち合わせていない。だから本来なら黙っているのが本当なんだろう。しかしそうはしたくないと拘りたい自分が心のどこかにいる。過去の日記に書かれた内容を引用するなら、「黙らずにいられないのは、それが実のところ私の物語を大きく揺るがすからで、生じた穴を少しでも言葉で埋めたい」のだと思う。ただ、その言葉が後出しジャンケンの言い訳であったり、あるいは一種の類型化の為の常套句だったりするなら、自分の手を自分で止めたほうがまだ賢ぶれるかもしれない。それは研究所で顔を突き合わせて1年という時間を共に過ごした連中に対しての失礼に他ならないと思わなくもない。こういった懸念に配慮した上でもし僕が劇団での日々を何か言葉にしたいのなら、まずはその時見たように、思ったように書くしかないのだと今は考えている。

と、上の段落に書いてからこの段落に移るまでに一週間がたっている。この一週間で僕は友人との話し合いの結果「なんかしよう」ということになり、『週刊タンペンちゃん』というYoutubeチャンネルを開設して動画の投稿をすることにした。短い寸劇を録画して定期的に投稿するのが趣旨だ。動画が伸びないことはさほど気にならない。動き回っているのは楽しい。ただ、動けば動くだけ自分が夢の中にいるような気持ちになる。それが良いことなのか悪いことなのかもよくわからない。先週は、僕と同じく研究所を卒業した役者Cを誘って収録をした。稽古の合間には数ヶ月前の思い出話になった。研究所生活をまとめてアニメに例えるとどうなるか、という話題が出た。僕は『Zガンダム』と言った。Cは『あずまんが大王』と答えた。

卒業公演の打ち上げの二次会は「美食倶楽部」という安くなく美味しくもないチェーンの居酒屋だった。「劇団」の演出家の方もいらっしゃり、会は大いに盛り上がった。僕も隅っこの席で精いっぱい下品な冗談を叫んだ。最後だから、と突然告白をしだした馬鹿な奴もいた。始発前に会は解散となって、各々が店を出ていった。僕らはわりと最後のほうまで残っていたと思う。脈絡は忘れたけれど、正面に座った役者Dがふいに「今回の公演は、上手くいかないほうがよかったんじゃないか」というようなことを言った。言葉を失った。ここにいれなかった役者Aのことを言っているのだ、とわかった。Aが文字通り「全員」に冷めて失望していたこと、比喩でなく血を吐きながら稽古場に来ようとしつつ来れなかったことをDは知っていたのかもしれなかった。だけど今思い返せば、それにはそれで確信が持てないでいる。つまりもしかすると、Dが言いたかったのは直前の一次会のことでもあるのかもしれなかった。一次会の半ば頃から役者Eが見当たらなくなった。僕は店の外へ探しに出た。Eは煙草を吸っていて、役者F、役者Gと一緒にいた。役者Gは、精神を患って、初秋には研究所を辞めて帰郷していた。それを卒業公演の打ち上げだからと顔を出しに来てくれていたのだった。「なにしてんすか~」と声をかけると、Gが顔を真っ赤にして泣いているのが分かった。EとFは何も言わずGの傍にいた。僕は、正直Gのことを扱いかねていた。彼は病気で支離滅裂なことしか言えなくなっていたし、だから一次会中も声をかけなかった。そんなGを急に甲斐甲斐しくサポートしだした連中を何故か心の底で白々しく思うこともあった。ただ、その時その場にいるのはEとFだけだった。Gは声を出さずに口元だけを歪めて涙を流していた。理由はわからない。ピンと張った糸が切れたらこんなだろうなと思った。

手元に「劇団」からの速達郵便がある。打ち上げの数日後に届いたもので、中の手紙には「貴方は進級が決まりましたのでお知らせします。通知を確認したら、無事届いたことをLINEで連絡ください」とある。はっきりした意志はなかった一方で、もういれないとも思っていた。進級を辞退したい旨を先方にLINEで伝えた。理由を尋ねる質問が来た。簡潔な返事を絞り出すと、それきり「劇団」の方からの連絡は無くなった。不遜な態度で実際にはまるで役に立たない下っ端の後処理なんてものはそんなもんだと思う。それからひと月も経たないうちにコロナ禍が来て、瞬間全てがどうでもよくなったのはありがたかった。毎日映画を見たり本を読んだり、情報が常時通り過ぎていく状態は救いになった。振り返れば、多分僕は「卒業」の日を待ってか待たずしてか、世界が壊れてしまったように感じていたのだと思う。恐らくこのことを書き留めておきたかったのだけど時間がかかった。感傷的だし、今更気づいたのかと笑われるような気もしたから。この種の遅さを、恥ずかしいことだと思ってはいる。

研究所での日々からこれ以上の結論を引き出すことは考えられない。入所式当日、突然生徒代表挨拶の指名を受けた僕は慌てふためきながら「なぜ演劇でなくてはならないか、その結論を出せる一年にしたい」というようなことを言った。なのに今は、あそこでの時間を結論に押し込めるのは無神経だとさえ思っている。結論があろうとなかろうと演劇はおこなわれる。結論もなく図々しく自分は生きているし、だらしなくまた何かをしだすと思う。ただし、都合よく彼らを思い出しつつにしたい。それを恥ずかしいことだと思わないようにもしたい。餞別として日記に書いておきたかったことはこんなもんだった。溜まった住民税と健康保険を早く支払いたい。Wが満足してくれることを祈っている。

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