だれかに必要とされる時間は、とてつもなく短い
娘が3歳になった。ママが見えなくなると途端に泣き喚いていた娘。夜は2時間寝続けてくれれば良い方で、不規則な夜泣きで起こされては必死にあやす毎日。早くこんな生活が終わって欲しい。そう思い続けていた。
その日は雨。夕食を食べ、娘をお風呂に入れた後、部屋干ししていた洗濯物をせっせとたたむ。気づけば21時。そろそろ娘を寝かしつけなきゃ。急いで寝室に向かうと、彼女はもうすでに静かに眠りについていた。
ついこの間までは、そばにいて、絵本を読んであげないと絶対に寝なかった娘。眠りが浅いときに離れると、必ず気づいて泣いていた娘。そんな娘が、知らぬまに一人で眠れるようになっていた。
嬉しいことのはずだった。これでやっと存分に寝れる。寝かしつけに当てていた時間を別のことにも使える。この日を待ちわびていた。そのはずなのに、もうこの子には「一緒に寝てくれるママ」は必要ないという事実が、なんだか重たいことのように思えた。
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大学時代のサークルの後輩から久々に連絡があった。今の会社を辞めようか悩んでいるらしい。「明日の夜、飲みでもどうすか?」と誘われる。相変わらず急だ。
可愛がっていた後輩、3年前就職活動の相談にも乗っていた。その会社への入社を後押ししたのが自分なのもあって、やや責任も感じる。だけど今週は大事なプレゼンがあって、早く帰れそうもない。正直、自分自身も仕事がうまくいっていない。できればかっこ悪い姿を見せたくない。
「悪い、俺今週がちょっと山場でさ」とLINEを返す。聞き分けの良い後輩は「さすが先輩、忙しいっすね!急にすんません、また」と引き下がる。既読にしたまま、それ以上返信はしなかった。
そんなやりとりすら忘れていた半年後、誰かの結婚報告でサークルのグループLINEが動いた。そういえば、あいつどうなったんだろう。思い出して後輩に連絡をしてみると、「いや〜実は体壊しちゃって」とすでに会社を辞めていた。
大丈夫か?話聞くよ、と返すも「いやいや、先輩もいろんなプロジェクト?とかで忙しいと思うんで!大丈夫っすよ。社会復帰したらお祝いに奢ってくださいねー!」。
そうだった。こいつの誘いがいつも急なのは、マイペースだからじゃなくて、人を頼るのが苦手なせいだった。どうしてあのとき気づかなかったんだろう。山場だった俺の仕事って、こいつとの話より大事だったっけ?
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父が認知症になった。認知症といってもいろんな段階があって、私の父はまだ元気な方だ。物忘れはあるけれど、一人で生活もできるし、趣味の盆栽もまだ続けている。
どちらかというと、父は怖い存在だった。度が過ぎるほど真面目で、私が大学生になっても門限は20時。1分でもすぎるようなら文字通り怒鳴られた。そんな生活が窮屈だった。母に間を取り持ってもらって、社会人になってからは逃げるように一人暮らしを始めた。
元気だと思っていた父は、会うたびに老いていった。どんどん増える盆栽の数を見て「これ、どうしたん」と聞くと、「いやぁ、盆栽なかったなぁと思って買うたら、家にあったんよ。おかしいなぁ」。
あれだけ真面目で完璧主義で、厳かな存在だった父が、どんどん弱く小さくなっていく。それを目の当たりにするのが辛くて、父のもとへ通うのも億劫になって、申し訳なさを抱えながら老人ホームに入ってもらった。
3ヶ月ぶりに訪れた老人ホーム。盆栽好きな父のことだから、きっと様子が気になっているだろう。実家によって盆栽の写真を撮ってきた。「ほぅ、ええ盆栽があるもんだのぉ」と、予想に反してどこか他人事のようだ。
「ほんで、お前さんははじめてみる顔だね。ここの新しい人かい?」優しい笑顔を私に向ける父。その日から私は、娘ではなく一人のお手伝いさんになった。
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これらは全て私の話ではなく、だれかから教えてもらった話をもとに、想像を膨らませたフィクションだ。だけどどこか、自分の経験と重なるシーンもある。
日々過ごしていると、今あるものが当たり前に感じられたり、近くあるものにはいつでも手が届くと思ってしまう。だけど現実はそうじゃない。時を逃したら会えなくなってしまったり、頼りにしてもらえなくなったり、関わりが無くなってしまったりすることもある。
だれかに必要とされる時間は、とてつもなく短い。
このことを胸に留めながら、物事の優先順位を見誤らずに歩める人間でありたいと願う。