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涙の理由。だれかを失う寂しさと、後悔について

大好きだった祖父が他界した。この夏に88歳を迎える予定だった。

しばらく入院をしていて、介護が必要な状態だった。お医者さんからも「もう長くはない」と言われていたから覚悟はしていた。だけどやっぱり、報せを聞いたときにはショックだった。

時間の流れは無情なもので、そんな悲しみに浸っている暇もなく、通夜・葬儀に参列するためにすぐさま新幹線に飛び乗った。富山にある祖父の家に到着するやいなや準備に追われ、気づけばあっという間に当日を迎えていた。

死際にその人の生き様が色濃く出るというのはまさにこのことかと思うほどに、祖父がいろいろな人から慕われていたことがわかる葬儀だった。

地域のさまざまな会合に顔を出しては、大事な役目を引き受けていたとは聞いていた。だけど家にいる祖父は、私と一緒にただただ日本酒を飲むばかりだったので、心のどこかで本当かなぁ?と思っていた。

参列された方々から「困ったときに助けてくれた」「元気か?と気にかけてくれていて救われた」という言葉をもらって、本当に立派な人だったんだと思い知らされた。


そこにいる誰もが彼の死を惜しんでいる中、なかでも悲しみに暮れていた人が二人いた。二人は読んで字のごとく、膝から崩れ落ちて号泣していた。

自分よりも感情的な人を目の前にすると冷静になろうとしてしまうのは、人間の性なのか私の性なのか、どうしても二人から目が離せなかった。そしてふと気づいた。似たように悲しんでいる二人は、まったく別の理由で泣いていることに。


号泣しているうちの一人は、祖母だった。

祖父と祖母は、孫から見ても本当に素敵な関係だった。「相思相愛」という言葉がぴったりで、よく口喧嘩をしてはすぐに仲直り、祖母は口癖のように「おじいちゃんと結婚できて幸せもんだわぁ」と言っていた。

いつも元気で明るい祖母が崩れ落ちる姿を見るのは、初めてだった。それにいくばくか狼狽しながらも、少し落ち着いてから「おじいちゃん、いなくなって悲しいね」と声をかけると、意外にもこんな言葉が返ってきた。

「寂しくなるねぇ。でも、不思議と後悔はないよ」

入院中は一緒に過ごせなかったけれど、息を引き取る数日前に自宅に戻ってきてからは、最期までずっと一緒に過ごしていたという。そして祖母はいつも、祖父への愛や感謝を伝えていた。祖父とやりたかったこと、祖父にしてあげたかったこと、祖父に伝えたかったことを全部生前に終えていた祖母には、一つの悔いもなかった。

それでも、最愛の祖父とこの先一緒にいられないことは悲しい。祖母の涙には、未来に対する寂しさが込められていたのだと思う。


号泣していたもう一人は、村のなかでも祖父にひときわお世話になったという人だった。祖父自身も、とても大事に思っていた人だった。

その人も祖父の状況を知っていた。「早く会いにいかなければ」とは思いつつも、仕事が忙しいとか、もう何年も会ってないから今更会っても、なんて言い訳をつけて、会いにいかなかったという。そうして結局、冷たくなった祖父と顔を合わせることになってしまった。

その人から溢れ出ていたのは、祖母のような寂しさではなく、後悔だった。

どうして、会えるうちに会いにいかなかったんだろう。どんな理由よりも、大切なことだったはずだったのに。誰よりも、感謝を伝えなければいけない人だったのに。何も返せないまま、もう会えなくなってしまった。どうしたらいいんだろう。この気持ちを、一生抱えていくのかな。

吐き出されるそんな気持ちに、返す言葉が見つからなかった。私が父を亡くしたときに抱いた感情と、とてもよく似ていたからだと思う。ほぼ会わずして旅立たれてしまった父への後悔を、どこにもぶつけることができなかった二年前の自分。祖父母のもとへの頻繁に通うようになり、家族総出で米寿祝いまでしたのは、父にできなかったことを祖父母にはしたいという懺悔の気持ちだった。

こういうときに、適当な慰めの言葉はきっと意味をなさない。私はその人と一緒に、ただ悲しむことしかできなかった。


そんな周囲の涙とは裏腹に、祖父の顔はとても安らかだった。お酒が大好きだった祖父は「飲み過ぎだ」とよく祖母に怒られていた。もしかしたら、「天国にいけばたらふくお酒が飲めるぞ」なんて思っていたのかも知れない。

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葬儀から少し日がたったあと、号泣していた「その人」にたまたま会う機会があった。その人は今も後悔の最中にいた。もしかしたら、この人はずっとこのままなのかも知れないと思った私は、思い切ってこう言ってみた。

「どれだけ悔やんでも、たぶんその後悔は、一生消えないですよ。」

冷たい一言だったかも知れない。そのあとにこう続けた。

「だから、祖父にできなかったことを、あなたの大事なほかの誰かにしてあげてください。その方がきっと、祖父も喜びます。」

その人は、泣きながら頷いていた。

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怒涛の二週間が過ぎ、東京へ戻ることになった。寂しそうな祖母の姿に胸を痛めながらも、「また来るからね」といって祖父母の家を後にした。

号泣していた「その人」は、祖父にできなかったことを、誰かにするのだろう。私は、父にできなかったことをしに、また祖母に会いにこよう。

知らぬ間に梅雨入りしていた東京には、ぽつりぽつりと、静かに雨が滴っていた。


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