11月15日の祈祷会の内容です。
瀬戸永泉教会の皆様へ。
新型コロナウィルス感染症から、このように祈祷会や説教の内容をメールやラインで送ってきました。今まで、読んでくださってありがとうございます。11/12の長老会で、その役割を終えるということになりました。それで、この祈祷会の内容が最後ということになります。今後は、瀬戸永泉教会のホームページから祈祷会や説教の内容を見ることができます。また、YouTube配信は続けます。見るためには教会のホームページや瀬戸永泉教会のYouTubeチャンネルから入ってください。急な決定で申し訳ありませんが、よろしくお願いします。(瀬戸永泉教会長老会、横山厚志)
祈祷会 ヨシュア記6章「エリコの占領より」 2023.11.15
レビ記1章には、焼き尽くすささげものについてのことが書かれてあります。イスラエルの人々が神にささげるべき内容が書かれてあるのです。家畜のささげものとなります。牛、羊などをささげるのです。ささげる時は、無傷の雄になります。ささげられた家畜は主の祭壇の前で、すべて燃やして煙とするのです。これは、イスラエルの人々にとって、神への全き献身を意味します。私たちはすべて主なる神のものだということです。私たちは神に従っていきますということです。
ヨシュア記6章のイスラエルの人々がエリコの町を攻撃することは、ここだけ特別な方法が用いられています。他の町への攻撃では、エリコの場合とまったく違っていきます。私たちにとってこの個所は理解することが難しいことだと思います。イスラエルの人々にとって、エリコの攻撃は、焼き尽くすささげものをささげることになるのです。
エリコはイスラエルの人々の攻撃に備えて城門を堅く閉ざしていましたので、誰も出入りすることはできませんでした。イスラエルの人々はいよいよ行動を移していきます。まず神はヨシュアを通して、イスラエルの人々に「見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたたちの手に渡す。あなたたち兵士たちは皆、町の周りを回りなさい。町を1周し、それを6日間続けなさい。7人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。7日目には、町を7周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。その時に、民は皆、鬨の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民はそれぞれ、その場所から突入しなさい」というのです。
ヨシュアは祭司たちを呼び集め、「契約の箱を担ぎなさい、7人は各自雄羊の角笛を携えて、主の箱を先導しなさい」といい、民に向かっては「進め、町の周を回れ。兵は主の箱の前に行け」と命じます。7人の祭司が雄羊の角笛を携え、吹き鳴らしながら主の前を行き、主の契約の箱はその後を進んで行きます。兵は、角笛を吹き鳴らす祭司たちの前衛として進み、または後衛として神の箱に従って行きます。行進中、角笛は鳴り渡っていました。ヨシュアはその他の民に「わたしが鬨の声をあげよと命じる日までは叫んではいけない。声を聞かれないようにしなさい。口から言葉を発してはならない。あなたたちは、その後で鬨の声をあげるのだ」と命じます。イスラエルの人々は主の箱を担いで町を回らせ、1周させました。それを6日間繰り返しました。7日目、朝早く、夜明けと共に起き、町を7周回りました。7度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に「鬨の声をあげよ。主はあなたたちに、この町を与えてくださった。町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ。あなたたちはただ滅ぼし尽くすべきものを欲しがらないように気をつけ、滅ぼし尽くすべきものの一部でもかすめ取ってイスラエル全体を滅ぼすような不幸を招かないようにせよ。金、銀、銅器、鉄器はすべて主にささげる聖なるものであるから、主の宝物庫に納めよ」といいます。
角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声をあげました。民が角笛の音を聞いて、一斉に鬨の声をあげると、城壁の崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、エリコの町を占領しました。イスラエルの人々は、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはすべてことごとく剣にかけて滅ぼし尽くしました。これが、イスラエルの人々にとって、エリコの町とその人々や家畜までも、焼き尽くすささげものをささげたことになるのです。契約の箱が中心になって、エリコの町の攻撃がなされていきました。それは、イスラエルの人々にとって神への信仰ということになります。
その一方で、ヨシュア記2章で、2人の斥候がエリコの町を偵察に入った時に、遊女ラハブによって偵察を手助けされました。ラハブは2人をかくまって、助けました。その時に、ラハブは2人に、私はあなたたちを助けたのだから、今度は、私たちを助ける番です。エリコの町を攻撃する時は、私たちとその一族を助けてくださいと約束していました。そして、この時に、その約束が実行されるのです。ヨシュアは2人の斥候に「遊女ラハブの家に行って、あなたたちが誓ったとおり、ラハブと彼女に連なるすべての者を連れ出せ」と命じます。斥候はラハブとその一族をすべて連れ出して、イスラエルの宿営に避難させました。ラハブとその一族はすべて、ヨシュアが生かしておいたので、イスラエルの中に住んでいくようになるのです。エリコを探る斥候としてヨシュアが派遣した使者を、ラハブがかくまったからです。ラハブについては後に、「サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを」(マタイ1:5)として、イエス・キリストの系図の中に入れられているのです。
ヨシュア記6章、エリコの町の占領についてみてきました。イスラエルの人々が、神への信仰として、エリコの町のすべてを焼き尽くすささげものとしてささげています。男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くしました。一方で、2人の斥候をかくまったことで、ラハブとその一族が助けられ、イスラエルの中で生きていくことが許されています。そして、ラハブはイエス・キリストの系図の中にまで入っているのです。この全く違うことをどのように読んで受け止めていけばいいのでしょうか。私自身にとっても大きな課題です。
祈り 神よ。聖書の学びと祈り時を与えてくださり、ありがとうございます。聖書の学びは深いものです。あなたの御心を知りたいと願い、学びを続けています。どうか、少しでもあなたの御心を知ることができますように導いてください。そして、あなたへの信仰を更に深めていくことができますように導いてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)
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