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6月5日の祈祷会の内容です。

祈祷会      士師記3:12~31「主の助けを求めて叫ぶ」     2024.6.5

 士師記を学んでいきますと1つの流れがあります。それは、イスラエルの人々は平和で幸福に生活しています。すると幸福の中で、神を忘れて、先住民と交わっていきます。そして先住民の神々を拝むようになります。神の教えを破ってしまうことになります。それを見た神は怒り、イスラエルの人々に対して敵を送ります。人々は敵に襲われて苦しむことになります。その苦しみの中で、神に助けを求めて叫びます。その人々の叫びを聞いた神は憐れみ、1人の士師を送ります。士師が活躍し、人々と共に敵を滅ぼします。敵が滅びたので、人々は再び平和と幸福を取り戻すことができます。士師が亡くなります。すると、人々はまた先住民と交わり、偶像礼拝を犯してしまうことになります。神は怒り、再び敵を送り、人々を苦しめます。人々は敵の苦しみの中で、神に助けを求めて叫びことになります。人々の苦しみの叫びを聞いた神は、人々を憐れみ、1人の士師を送ります。このような流れになっていきます。このような流れを何度も繰り返していくのです。それが士師記の神学ということができます。

 先週は、最初の士師であったオトニエルが活躍しました。イスラエルの人々は、主の目に悪とされることを行うのです。それは主を忘れて、バアルとアシュラに仕えたのです。主はイスラエルの人々に対して怒り、アラムの王を送りました。イスラエルの人々はアラムの王のもとで苦しみました。8年間、その苦しみは続くことになったのです。イスラエルの人々は神に助けを求めて叫びます。神は、人々のために1人の士師を送ります。それがオトニエルでした。士師オトニエルは、アラムの王を破り、イスラエルの平和がやって来ました。その平和は40年間続いたのです。オトニエルは死んでいきました。

 今日の聖書の箇所は、2番目の士師であるエフドが活躍をします。まず、イスラエルの人々は、またも主に対して悪とされることを行うのです。先住民と交わり、先住民の神々を拝んでしまうのです。神は怒り、イスラエルの敵としてモアブの王エグロンを強くしました。モアブの王はアンモン人とアマレク人を集めて、攻めて来て、イスラエルを破るのです。このようにして、イスラエルの人々は18年間、モアブの王アグロンに仕えることになります。イスラエルの人々は、主に助けを求めて叫びました。人々の叫びを聞いた神は、1人の救助者を送ります。それがベニヤミン族のゲラの子、左利きのエフドでした。イスラエルの人々は貢ぎ物をエフドに託して、モアブの王エグロンのもとに送ります。

 エフドはこの時に、刃渡り1ゴメドの両刃の剣を作り、それを右腰に帯びて上着で隠し、モアブの王エグロンのもとに貢ぎ物を納めに行きました。モアブの王は非常に太っていたとあります。ここで、エフドはある作戦を練ります。それは巧妙な暗殺を行うためのものです。エフドは貢ぎ物を納め終ると、貢ぎ物を運んで来た者たち去らせます。自分はギルガルの近い偶像のある所から引き返します。そして、エフドはアラムの王に「王よ、内密の話がございます」といいます。王は「黙れ」といいますと、そばにいた従臣たちは皆、席をはずしました。エフドは近づきました。その時、王は屋上のしつらえた涼しい部屋に座り、ただ1人になりました。エフドが「あなたへ神のお告げを持って来ました」というと、王は席から立ち上がりました。エフドは左手で右腰の剣を抜き、王の腹に刺しました。剣は刃からつかまでも刺さり、抜かずにおいたため脂肪が刃を閉じ込めてしまいました。汚物が出て来ていました。エフドは廊下に出て、屋上にしつらえた部屋の戸は閉じて錠を下ろしておきました。

 エフドが出て行った後で、従臣たちが来て、屋上にしつらえた部屋の戸に錠がかかっているのを見て、王は涼しいところで用を足しているのだといい合っていました。エフドは時間を稼ぐことができました。従臣たちは待てるだけ待ちましたが、屋上にしつらえた部屋の戸が開かないので、鍵を取って開けてみると、モアブの王は床に倒れて死んでいました。

 エフドは抜け出し、偶像があったところを過ぎてセイラに逃れました。到着すると、エフドはエフライムの山地に角笛を吹き鳴らしました。イスラエルの人々はエフドと一緒になり、エフドを先頭に山を下って行きます。エフドは「私の後について来なさい。主は敵モアブをあなたたちの手に渡してくださった」といいました。イスラエルの人々はエフドに従って下り、モアブに向かうヨルダンの渡しを手中に収めることができました。イスラエルの人々は誰一人そこを渡させることはしませんでした。この時に1万人の敵を破ったとあります。皆、たくましい兵士たちであり、1人として逃れた者はいなかったといいます。モアブはこの日に、イスラエルの人々の手中に落ちて屈服しました。イスラエルの人々は80年間に渡って平穏に暮らすことができました。

 31節にはエフドの後、アナトの子シャムガルが現れ、牛追い棒でペリシテ人600人を打ったとあります。シャムガルは3人目の士師ということになります。約束の地の地方での出来事ということができます。

 今、私たちの住む世界では、いろいろな地域で戦争が起きています。ウクライナとロシア、イスラエルとハマスです。どうして、人は戦争を起すのでしょうか。どうして、すぐに止めることはできないのでしょうか。かつて日本も戦争をしていました。多くの犠牲を出して、戦争を終えました。広島の原爆慰霊碑には次のような言葉が書かれてあります。「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」と。私たちは過ちを繰り返してしまうのでしょうか。どうしたら、過ちを繰り返すことにないようにすることができるのでしょうか。士師記を学びながら、特にその過ちについて考えていきたいと思います。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。イスラエルの人々は繰り返し繰り返し同じ過ちを犯しています。それが人の原罪なのでしょうか。どうしたら、過ちを繰り返さないことができるようになるのでしょうか。ただ、イエス様の十字架を見上げます。どうか、過ちを認める力と繰り返さない知恵を、私たちに与えてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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