私の死ぬまで日記 142日目

こんばんは。

お久しぶりです。本当にお久しぶり。今日は気がむいたので書きます。

おはようございますの時間になってしまいました。一時間前に帰宅し入浴しタバコを吸い薬を飲んで布団に入ったところ。

昨日、とても好きだった推しが亡くなったらしい。世界一憧れた顔で世界一儚い女の子。常に自分を売って見る度に見た目が変わる女の子。いい意味でも悪い意味でも影響を受けた女の子かもしれない。

以前JKリフレで働いたことがあるがそれはその女の子の影響で知った職業だった。それより前から風俗で働いた経験もあったしガールズバーに体験入店したこともあった。その女の子が全てではないが私の記憶を私の中だけで綺麗にするのであれば「その女の子が働いていたから働いても大丈夫」だった。綺麗な顔面を自分で作り上げ老いる前に棺桶に入りたい。全てを実現してしまった女の子。生き方まで儚い。

死にたい人間は沢山いるが実際に死ぬのって本当に難しい。現に私も日記を書いていない間も常に根底にあるのは「死にたい」という感情だし、その感情を軸に生きている。だけど「明日何しよう」「来週は〇〇さんを呼ぼう」「就活はどうしよう」と未来のことばかり考えている。死にたいって感情ってなんだろう。先のことを考え無くなること、というのはあまりに無責任だが「死にたい」が「死ぬ」になるってそういうことな気がする。

漠然と疲れたから死にたい、何もかも上手くいかないから死にたい、は病気という理由付きの逃げなのだろうか。摂食障害、躁鬱病、人格障害と診断され自覚してから早五年が経つ。5年も生きれてしまう。私の生命力って一体。推しの儚さって一体。人間は消えてしまいそうで消えない放っておけないものに感情が動かされる。例えば音楽とか。聴いている間は絶対なのに聴き終わったあとは記憶になる。儚い。私も記憶になりたい。だけど怖い、手段は?周りへの精算は?とても今はできない。自分は極限だと思っているのにできない。時に神様に頼ってみたりもする。死ぬってどういうことなんだろう。

またしてもまとまらない文章でごめんなさい。ここら辺にしておきます。おやすみ。

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