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私の死ぬまで日記 127日目

こんばんは。

今日は日記を書く気になることがあったので書きます。

今日はバイト先の食事会のため川崎に向かっていたのだが遅延していた。イヤホンをしていて遅延した理由を知らないままだったが、先程それが人身事故だと知った。

普通に成人の人身事故だったらここまで何も思わなかったかもしれないが18歳の男子高校生だった。

それを知った時言葉にならない何かを感じた。言葉にならない声が出た。

18歳かあ。進路かな。自ら命を絶つってどういう気持ちなんだろう。何度も自ら命を絶ちたいと思ったことはあるが自らホームから飛び降りるってやっぱり相当な覚悟がないとできない。親族への損害賠償請求や、後処理、失敗した時のリスクなども考えられないほどの追い込まれよう。私の何千倍も追い込まれていたのだろう。 

何故か今日その話を聞いた時にその言葉にならない感情のほかに確かに言葉になる感情が沸いた。「羨ましい」。単純にそう思った。

今死にたいのかと言われたらよく分からないが自ら死ねる覚悟を持てることが羨ましい。何度も思い立つのに実際に行動できない自分が憎いと思っていると思う。私も死ねるのであれば死にたい。今かどうかは分からないけど確かに死にたい。将来とかどうでもいい。このよく分からない日々と早くおさらばして取り敢えず死んで忘れたい。離脱したい。そう思ってるのに行動出来ない。行動力、羨ましい。不謹慎なのはわかっているが羨ましいと思った。

毎日よく分からない将来のために徳を積んで積んで、気付いたら毎日一日一日のことではなく常に明日や将来の自分のために時間を使っている。「今は休もう」と思って寝ている時間も明日の自分が楽になるため、である。少しひねくれているかもしれないが。寝たいから寝るのではない、寝ないと将来の自分が辛いから寝ている。勉強も就活も全部その要領である。生きるということは恐らくそういうことなのだろう。

いつ死ぬか分からないのに、ましてや死にたいと思っているのに将来の自分のために時間を使いたくない。今の自分のために使いたい。でも、死ねる自信が無いから将来のために頑張ってしまう。死ねる勇気や覚悟、とても羨ましい。そんな感じ。おやすみ。

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