私の死ぬまで日記 145日目

こんばんは。

3ヶ月に一回ぐらいばぁ〜と感情を文字に起こしたい衝動に駆られる。

私は常に「普通に生きたい」と考えているが常に「普通ってなんだろう」とも考えている。文字に起こしたいとか言っておきながら言葉にするのはとても下手くそだし難しいのだが。私の思う普通ってきっと「他人のしていること/他人のまわりで起こっている特別でない些細な幸せ」な気がする。つまり私のまわりで起こっていることは「異常なほど不幸」という認識。自分は異常なほど幸せじゃない!私だけなんでこんな目に!という訳ではないのだが…………………………。

だけど普通って人それぞれだし今私に起こっている「異常なほど不幸」ももはや私にとって普通なんだよな。普通ってマジでなんだろう。私は普通になりたいのではなく私の周りの人間のように些細な幸せが沢山欲しいだけなんでは無いのだろうか。そして恐らく周りから見たら私も普通だし私から見た他人も「異常なほど不幸」の感覚はあるのではないだろうか。要するに何が言いたいって人それぞれなのだから他人の真似事の普通の幸せを模索していてもこのモヤモヤは一生収まらないのではないか、と気付いた、ということ。もう少し簡潔に書けないものだろうか(笑)

他人より少しだけ「なんで周りにはできて私には出来ないのだろう」って思うことが多いのだと思う。でもそれは性格だし境遇だしそういう病気でもあるし。諦めなければいけないことをなかなか諦められない。自己承認欲求が異常に高いのに自己肯定感が異常に低い。友達でも恋人でも誰かの別な存在で「あなたは特別ですよ、代わりはいませんよ」と言われ続けなければ常に不安で仕方がない。ずっとずっとそうだったけれど自覚すると苦しいものがある。私は私なのに替えが効くような扱いをしないで欲しい。誰に言っているんだ、という感じだが。おやすみ。

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