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打牌批判の是々非々

今週の麻雀界は、打牌批判が大きな議論がされ賛否両論を生じた。
Xでは約1万前後のポストがされ、ネット民の恰好のネタとなっていた。

Mリーグをはじめとして放送対局が数多くあり、大概の場合にはデフォルトでチャット機能が付いており視聴者がつぶやきたいと思った人は、その機能を利用して自分の意見や感想を述べる事ができる。

今回、大きく炎上した事案は、神域リーグというインターネット麻雀の雀魂をプラットフォームとして、アニメキャラクターを操作する配信者が声優となり、キャラクターを操作しながら麻雀対局をするチーム戦をしている。

麻雀の知らない子供や若年層に受けが良いらしいが、オンレ育ちのオジサンはMリーグや麻雀プロの大きなタイトル戦の決勝戦は視聴しても、アニメキャラがわちゃわちゃ色声を利用したVTuberを視聴する年齢でも無いだろう。

その配信者の1人が、神域リーグにおいて打牌批判が多すぎて選手として参加を辞退すると発表した事で一気にネタとなった。
ちなみに神域リーグでは、以前から打牌批判は辞めましょうというスタイルを貫いている。

麻雀プロを含む運営者達が、このコンテンツでは打牌批判を辞めて欲しいと訴えているので、配信者が好まない打牌批判を辞めるのがでだろう。
嫌ならば、視聴しなければ良いだけだろう。
ここで打牌批判がどのラインになるのかという問題は、運営者と配信者が継続的に不快になった範囲と言えるだろう。

運営者の締め付けや選り好みが多すぎて、規制が多く係るコンテンツになって利用者が減ってもオワコンになろうとも、結局は運営者側の許容範囲とサジ下限だろう。


私としては、見せ物やエンタメとして麻雀をやる時には、ある一定の強さがある人達から打牌批判が有っても良いと思う派です。

私も麻雀やMリーグのnoteを多く記載してきましたが、何か指摘された場合には論理的に説明して返すか、相手の人生経験を鑑みてストレートに返すか融和的返答をするのかを決めている。
私の実力が文面から理解できない坊やがいれば、リアル麻雀で対戦しても良いとも思っている。

何かを人様に披露して、共感を得たり、笑いを届けたり、何かを教えたりするのは、情報を配信する側もそれ相応の覚悟とそれなりの技術や経験そして度胸を必要とするだろう。

インターネットという多様性のある空間では、匿名性からインターネット空間から不特定多数の人を惹きつける可能性もあるし、悪意が無くても敵意を持たれる可能性もあるだろう。

そこを配信者としてどのような反応をするのかが、腕の見せ所だろう。


話は、変わるが私は結構肝が据わっている。

普通のサラリーマンの人と少し異なる人生経験や場数を踏んでいてネットの悪意あるツッコミ位ではビクともしない。否、最近体調弱っていて元気無いから心も無いツッコミがあったら、布団で寝込んで夜な夜な涙で枕を湿らせるかも知れない。

私が、他の一般の人より肝が据わっている理由は、18~25歳位までの青春期にオンレの雀荘店と歌舞伎町のボッタクリ店に勤める本職の人に鍛えられたからだろう。

フリー雀荘店は、場所にもよりますが色々な人と出会う。気の良いサラリーマンから中小企業の社長に始まり、闇金ウシジマくんのキャラにいそうな濃いキャラの人達もいる。勿論、爽やかな女性も増えているし、好青年な学生や若手社会人もいるだろう。
そのような多種多用な所で、鍛えられてきたからだろう。

更に私は、大学生時代に歌舞伎町で水商売のアルバイトをしている折に、週末に1人で飲み歩いて、当時のポン引きについていき、本職の人達が運営しているボッタクリバーに何度も遭遇している。

今では、迷惑防止条例やマル暴などの法律でそのような店は激減したが、1990年代の歌舞伎町では、週末の朝方になると身ぐるみ剝がされたおっちゃんがゴミ箱の横に転がっている事は良くあった。

若い青年時代に、本職の方が経営されている店で、相撲や空手そして柔道をやっているような活きのいい兄さん方複数名に囲まれて、理不尽なお会計を請求されるときの緊張感とその場に1人で場の空気で正確な受け応えをしなければいけない怖さを何度か経験しています。

更に、仕事でも最低100人以上の尖ったエンジニアの前で、自分の言葉と表現で仕事の説明を何回も経験しています。

そのような場数を多く経験している自分にとって、麻雀の打牌批評は可愛いものだ。


私の意見としては、サクラナイツの堀選手と同意見です。

麻雀をみせものとしている以上は、応援されるコメントもあれば、野球でいう三振、エラー、空振りしたんじゃないのという野次に似た打牌批評はつきものだ。そこに何か深い理由付けがあれば、配信者やプロであればネタとしてnoteやYoutubeで自分の考えを披露して、打牌批評をする利用者を惚れさせる位の技量と度量をみせて欲しいと感じる。

マインドスポーツが流行するには、視聴者が深く考え色々と自分の意見を場の空気を読み取った上で、素直な感想を述べられる位に盛り上がっている方が健全だと感じる。


私のように場数を踏んでいたり、トップ麻雀プロのように自分の言葉で説明・反論できないプロアマも多くいる。そこは、空気を読みたい。

1.相手は1人ではない。
 表現者が1人に対して、ネットでネガティブな意見を持つ人が大勢いた場合に全員が同調すると、それこそネットリンチになってしまう。
  感情に任せて直ぐにチャットするのは、子供のマスカキです。
 一呼吸置いて、同じ意見があればそれ以上は同じ意見を述べない。

2.身体が大人で脳が子供が一番怖い
 前提として、社会性のある社会人がネットで応援以外のリスクのある書き込みは基本しない。身元がバレて社会的問題になって、会社を首になるのも馬鹿らしいから一般的な人は、書かない。
  ここでの一般的とは、会社に数年以上正社員で勤めていたり、妻子がいて社会性が確保されている方々の事を意味します。
 表現者として怖さを感じる時は、成人以上の社会人が年齢相応のネットリテラシーや倫理観を持たない、身体は大人だが考えが幼い子供のような人の刺のある意見は怖い。

3.不幸せが伝達されるから怖い
 
成人男性、女性が執拗な打牌批判は、その人が充実していない日々を送られているのが推測され、ストレスが溜まっており日常で幸せを感じれていない不幸せな人物像が表現者そして周囲に伝わるから怖い。


解決方法は、「愛す・尊う」しかないのよ。
・視聴者から表現者に愛を持つこと。
・表現者から視聴者に愛を持つこと。
・視聴者が、異性の恋人を作ること。

愛だろ、愛。

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