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公共の場とテリトリー

私が通院している病院では、凡そ200名近い高齢者が延命治療のために通院している。曜日違い、午前午後の違いと多くの患者が病院施設を多くの患者が利用する公共施設の場として利用しています。

合理的・論理的に考えるとあり得ない世界感が高齢者の世界では起こりえているのが、苛立ったり面白く思える事が山ほどあるそんなちょっとした事を紹介したい。

こんな傘立てがあるとする。業務用なので恐らくもう一つサイズの大きい物かも知れない。体感で、50本入るか入らないかのサイズ感です。もし、200名の患者が全員置き傘をしたらどうであろう?

この業務用傘立てが最低でも4~5セットも必要となってしまう。

高層ビルやある程度ランクの高いビルでは、このような傘立ての傘は、定期的に管理会社の責任において処分される。それは施設を衛生的に清潔に保つために1日以上放置された傘は、朝の掃除時に綺麗に片づけられます。

だから、多くのビジネスマンは、折り畳み型は鞄やデスクに入れてあっても、会社や公共の場の傘立てには置いていない。あって置き忘れぐらいだろう。

それが、既に現役を離れたお年寄りが集まる施設だと、この施設の清潔感を保ち、公共の場の利便性を保つ観点を一切持たずに、個人のテリトリーと化している。即ち、置き傘している仕切りの範囲が俺の範囲としている。

3か月前に雨天の日にいつも置く手前の位置に置かず、置き傘がいつもある空いたスペースに自分の紳士傘を置いた。その日の治療後小雨が残っている時に帰宅しようと傘立てを視ると、自分の傘が無い。

今までの通院経緯と傘の紛失率を考慮しても、初めての事が起きた。私は病院の管理者に事の事象を説明したと同時にフルに読みを働かせた。私の紳士傘は70cmの大き目の傘で高齢者が持つには重く、見た目にもビニール傘と明らかに異なる値段の割に確りした傘だった。

どんなに記憶の悪い老人でも認識間違いのしようがない傘です。それから判断したのは、傘を入れた場所が恐らくそこの場所をテリトリー化している高齢者が何の識別も無く、我が領土に入った物は全て儂の物というジャイアン心理が働き、私が大切にした傘を持っていたのだろう。

私は、断腸の思いでその週末に新品の傘を購入した。恐ろしくて1000円以上する紳士傘は購入できなかった。

翌週に小雨が降る日に傘立てを見たら柄の部分が多少傷ついた自分の傘があった。恐らく傘を持ち帰った人が、大きな傘を粗雑に扱った感じがあった。その人の対応が持っていかれた人の気持ちを逆なでするやり方が余計に腹が立った。

傷ついた傘を見てこう思った。

「俺のポチは、2年以上大切に扱い、傷1つつかずいつも俺の帰りを待っていた忠犬じゃ!お主の汚い扱いを受けたポチらしき犬は、もうポチとして認識できないんじゃ! 間違えてポチを連れ帰ったら、最後まで責任もって最後まで面倒みろよ。。。。」

今でも我がポチらしき傘は、今も傘立てに古い主人からも新しいガサツな主人からも見放され、十分利用できるにも関わらず傘立てに置かれている。

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話は長くなってしまいましたが、語りたい大切な事は、公共の場に置いて、効率的に循環し、ルールを守っていれば、効率的な場所で物の管理が確りとできます。それが、自分の利のみだけで周囲の人達の事を考えない人が増えれば、増える程非効率かつ無駄な空間を必要とするという事です。

個人的な意見ですが、傘が安価だからといって、人の傘を平気で利用する人や、放置する人、乱雑に扱う人は関わりたくない人種です。

また、この件や他のスペースでも感じたのが、大企業などの大組織に少しでも働いた事のない人は、このような事は言っても理解できないお猿さんだと最近認識しています。

即ち、お猿さんと同じで個別最適・我がテリトリー化がその人にとって最も大切な事であり、現代的な公共の場を効率的に効果的に活用するために一定のルールの基づいて、皆で上手に利用するという感覚全く無いという事に気が付いた。

私は、このような経験を複数回経て学んだ教訓は、大人になった動物に人間の利を教えるには、既に遅く、相手に理を問いても無駄であり、獣には関わらない、絡まれないように人知を尽くすという事です。

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