あの日の記憶
2月24日金曜日。
2月19日に日本ガイシホールで行われたsumika Live Tour 2022-2023 Ten to Tenファイナルの余韻に浸っている18:00。
バイト中なんだが、ポケットの中で今までにないくらい、何度も何度もスマホが震える。流石になんかあったんかな、と思って確認させてもらった。
なぜか心配の声。
突如として更新されたHP。
“sumikaに関するお知らせ”
嫌な予感がした。
活動休止?メンバーの脱退?とか色々と頭をよぎった。
心配の声がなければ、新メンバー加入とかも頭をよぎったかも知れない。
けど、HPはサーバーが停止された状態で繋がらず。
Twitterをみるとたくさんの悲しむ声、何があったのか?ってHPに書かれていることを見れずに全くわからない人、理解できないと言う人、、、
sumikaと関わりのあるバンドの生YouTubeライブやインスタライブ、FCでの生配信など、予定していたけど、延期にする。と言っているバンドまで。
そして自分の目に飛び込んできたのは「ギターコーラス 黒田隼之介の訃報」頭が真っ白になった。すぐ戻るから、って言って抜けさせてもらったバイトに戻るにも戻れない。けど戻らないといけない。パニックのまま、バイトに戻った。
バイト先の人から「どうしたの?」「大丈夫?」って聞かれた。
自分は平然を装うしかない、そして、自分のバイトには“患者様”が関わっている。
だからこそ、浮かない顔や、目に涙を浮かべたり、暗い表情を見せるのではなく、笑顔で明るい表情を見せないといけない。
そんなのできるわけない、けど、あと30分。とにかく明るく装って、患者様が全員帰られたら、どんだけ暗い表情をしてもいいや。
そう思って30分を耐えた。
「顔色悪いよ、大丈夫?」っていろんな方から言われた。「大丈夫」感情とは真逆の言葉が自然と出ていた。
これ以上踏み込まれると自分のメンタルが崩れてしまう、いまはちぎれそうな1本の糸でなんとか繋ぎ止められている。そんな感覚だった。
患者様が全員帰ったあと、30分で片付けをするところ、いつも以上に時間がかかり、15分延びてしまった。多分自分が遅かったんだと思う。
みんなに「どうした?」「大丈夫?」「なんかあったんじゃないん?」って心配され続けて、隠すのも無理だと思い、こう言った。
「嘘かほんとかわからないけど、“sumikaの隼ちゃんが亡くなった”というニュースが、、、、」って。
誰もが衝撃で、みんなHPを見ようとした。HPは鯖落ち。繋がるわけがない。
「多分これHP消えてる」って言った者がいた。
それを聞いて「バンド終わりちゃう?」という者もいた。
なぜそんな簡単にこんなことを言えるのか。
怒りよりも悲しみの方が強かった。
自分はただ寄り添ってくれる人が欲しかった。
嘘かほんとかわからないし、受け入れられないし、頭の中パニックだったから、少しでも寄り添ってくれる人が欲しかっただけなのに。
その日は「もう帰ります」って言ってタイムカードを押して帰った。
仕事を中途半端に放置したまま。
帰る前、車の中でグループLINEで「今日はすみませんでした。明日はしっかり出勤するのでよろしくお願いします」ってことを送った。
涙すら溢れることはなかった。ただ、バイト先で言われた言葉だけが脳裏で響き、sumikaの活動も終わってしまうんじゃないか。そのお知らせもなく、彼らが戻ってくることはないんじゃないか。そんな不安ばかりの中、エンジンをかけた車から流れた曲は「透明」だった。
一方通行の恋の歌が、一方的な別れを告げる歌に聴こえて、いますぐにでもsumikaを引き止めたい。そう思うと共に涙が流れていた。
運転するには危険な状態だったけど帰るためには運転しなければならない。
なんとか運転して帰り、食欲はなくご飯は食べなかった。
お風呂に入りシャワーを浴びていると、顔が濡れているからなのか涙が流れているのかわからなかった。
あの日は本当に人生で一番泣いたかもしれない。
訳もわからずただ涙を流すしかなかった。
そして、同じような人がたくさんいて、自分はSNSに思いをたくさん吐き出しても心は軽くならないし涙は止まらなかった。
けど、吐き出せない人もいた。
そんな人の気持ちもわかるからこそ、今は寄り添いあってなんとか今を繋ぐしかないと思い、数日後、吐き出したかったらDMで言ってくれたらいい。って言った。
そのときにある1人のフォロワーさんが来てくれた。
その方は自分より3つ年下の19歳の女の子だった。
その子が自分に言った一言は「辛いです」これだけだった。
自分はそれに対して、共感すると共にまずはあなたの身体を大切に、寝れるときに少しでも寝て少しでも食べてください。と。あなたの思いを否定的に思ったりはしないから思う存分吐き出して欲しい。と。
受け入れられなくて、それと同じぐらいメンバーもスタッフチームもずっと苦しい思いをしていることが辛い。と言われた。
ほんとにその通りで、自分も受け入れられてないしみんな同じだから当然だと伝えた。
時間が経って、忘れたように普通に笑って過ごす日が来てしまうのが怖い。
身近に同じ熱量でsumikaを好きな人がいないからSNSでしか話せなくて、リア友から心配のLINEとか来ても気持ちの差を感じる。と
自分もそうだった。同じように愛する人じゃないとわかってもらえないと思って、SNSで吐き出していた。そこ以外で吐き出すことはできなかった。
だからこそいっぱい吐き出して気持ちの整理をして欲しい、受け止めてあげよう。って思った。
どうしてもなぜ亡くなったのか。を探る人が出てくるわけでやっぱり身近にもいて、色々と聞かれるし、憶測で言われた。
“事故なのかそうじゃないのか”
そんなの一緒に歩んできたメンバーやスタッフチームから何も言われていないんだから、ファンの我々にわかるわけがない。ただ、隼ちゃんはこんな人だ。って事実に基づいて信じるしかなかった。
気持ちの整理ができたわけじゃないけど少し落ち着けて、日常のことが少しずつ手につくようになってきた。と聞いて少しホッとした。
そんな会話を3日間(多分それぐらい)続けた翌日。
秘密本の話題が飛び込んできた。
前向きに捉える人、後ろ向きに捉える人。
ほんとに真逆に捉えることができる内容だった。
自分は前向きに捉えていたし、止まってほしくないし乗り越えようとしていたように感じた。
けど、いろんな捉え方ができるからこそ間違いなんてなくて正解しかないと思うから、自分の感じたことを信じてほしい。と伝えた。
それからsumikaからのコメントが出て、ライブ活動再開のお知らせが出るまでほぼ毎日会話していた。
お互い少しずつ前を向けている、前に進めているって感じがして、この人と1対1で話せてよかったな。と感じた。
それからことあるごとにあのときDMしてくれなかったら自分はどん底にいて進めていないかもしれないと思う。
あの時はすごく焦っていて、それでも焦っている人を見ると“落ち着けてあげないと”“ゆっくりペース作ってあげないと”と思いながら焦りながらもゆっくりゆっくりと思いながら言葉を紡いでいた。
だからこそ自分も落ち着けていたのかもしれない。
でも、1対1で会話ができなかったらここまで前向きになれていたかわからない。
生きることの難しさ、生きていることの強さ。みたいなものをすごく実感する期間だった。
彼女にはことあるたびに、「あの時よりも前に進めたのはあなたのおかげだよ。」って言われるんだが、それは自分も同じ。
あなたがいたから今の自分がいる、sumikaを愛する自分がいる。あの時お互いの気持ちを吐き出しあったからこそ、前に進めたんだと思う。本当にありがとう。これからもずっとずっとお世話になります。
そんなこんなで、1人の大切な住人さんと手を取り合ったことに焦点を当てて綴ってきましたが、この半年で自分の中でなにが変わったのか。
それは「人」「愛」「感謝」を大切にしようと思えたこと。
愛する人を大切にしたい。愛してくれる人を大切にしたい。って。
大切な人に出会えたことに感謝すること。
些細なことでも感謝すること。
自分を大切にしてくれる人を大切にしよう。って思います。
最後に。半年経ってもあなたのことを思わない日はありません。
ほんっっっっとにあなたの弾くギターが大好きです。あなたのその笑顔が、大袈裟なほどの相槌が。そして、何よりもバンドを愛していること、音楽を愛しているあなたの姿は太陽そのもののようです。
あなたの意志はずっとあなたの住処にあります。
だからどうか、ゆっくり休んでいてください。そして、たまには顔を出してください。見にきてください。
あなたが命を削ってまで作った音楽を一生愛し抜くと誓います。
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