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泣かないで話せる日

時間軸って難しい。

それは本当に 人それぞれ で
過去に気付いた人もいれば、今日気付く人もいて
未来に気付く人もいれば、ずっと気付かない人もいる。

以前自分が本当に苦しくて、全く余裕もない時に
『大事だと思う人』に数人の前で
その時の 私の現状 について聞かれた。

その人に聞かれなかったら、きっと言わなかった。
どんなシーンでも、どんなシチュエーションでも
その人には ちゃんと相対したい と思っていたから。

出来るだけ穏やかに話し始めたと思う。
泣くつもりなんかなかった。話せると思っていた。

「数人」だったのが不運だった。

あるキーワードを私が言った途端、その中の1人が吹いた。
笑った。本当に吹いて笑った。

いや。
いやいやいや。

全然笑えない。笑うとこじゃない。
オマエ、馬鹿なのか?
そう思った。

怒りが込み上げた。
笑うか?普通。このタイミングで。

「ごめん。全然笑うとこじゃないし」
そう言ったら涙が出てきた。
悔しかった。
最初にこの中にこの話を聞いて欲しくない人がいるって
私は分かっていたはずなのに。

『大事だと思う人』に言われなかったら話さなかった。
なら、その人にだけ話せばよかった。
それを判断できるような自分じゃなかった。甘かった。

泣きながらも話し終えた後に『大事だと思う人』は言った。

「この話を泣かないで話せるようになるといいね」って。

そうしたら女友達が
「泣いたっていいじゃん。泣いていいんだよ」って言ってくれた。
有り難かった。その言葉にその時はものすごく救われた。



正直、あの時『大事だと思う人』が言った言葉の真意はなんなんだろうと
ずっと考えていたけれど分からなくて、当時の私は馬鹿なアイツにムカついてて
そのこと自体を考えたくもなかったけれど。

あれから何ヶ月も経って『大事だと思う人』の言った言葉を思い返すと
また違った気持ちになった。

『大事だと思う人』が言った
「この話を泣かないで話せるようになるといいね」という言葉は
きっとあの時点から見たこの先の「もう少し先の未来」を指していて
あの場での私の涙について言ったんじゃないんじゃないかなって。

「この先の未来に楽しいことや明るいことがいっぱいあって、今起きたことや起きていることや苦しい気持ちが段々と癒されて、『この話を泣かないで話せるようになるといいね』」ってことだったんじゃないかなって、ここんとこ最近は思う。

『大事だと思う人』にはまたいつか、話をしたいと思う。
その時はちゃんと一対一で。笑




自分が人の話を聞く逆の立場な時にも
ちゃんと自分の思うことを極力間違いのないように伝えたくて
そうするとどうしても言葉数が多くなって、一生懸命になる。
それが空回りすることが続いて、疲れて、
私は 人との距離感 を考えるようになった。
相対する人を選ぶ。全然上から目線でもなんでもなく。

言わなくていいことは言わない。
そんなに真っ直ぐに何もかもに向き合うことが正しい訳でもない。
もっと自分が辛くなりにくい方法を選ぶ。

それもやっと今、この私の時間軸で掴んだ(掴んだと思っている)ことで
あの頃の私には分からなかった。分からなかったなぁ、本当に。


こうやってやっぱり変わるんだと思う。
すぐには変わらないし、もどかしいし、行ったり来たり
ギッタンバッコンで、急に引き戻されそうにもなるけれど
そうやって自分なりに見つめて考えていくしかない。
自分のことは自分で守りたい。


馬鹿者のアイツにはもう会いたくはない。
人を殴ったことがないので、本人に謝られて「一発殴ってくれ!」って言われても絶対に殴れないので、その時には等身大のヤツのサンドバックを作ってもらって、目の前でバンバンぶん殴って踏みちぎってズタボロにしてやりたい。笑
もちろんサンドバックはヤツの自費で。

そんな日が来るのが先か、私の許すという気持ちが先か。
この後の私の時間軸による。

それよりもヤツはすまなかったと思っているのか。
それは全くわからん。そしてどーでもいい。笑

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