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チクリと胸を刺す痛み



引き寄せられているのか
それとも人には誰も彼も
同じではなくても
解釈によって同じように
感じることがあるからか


そういう言葉に出会うときがある。
出会った瞬間、チクリと胸を刺す痛みは
それは消して不快なものではなく寧ろ、
ああ、今、出会えてよかったな と思う言葉だったりする。

私は知る人ぞ知る、あんこさんのお遍路達人なのだが(自分で言う。笑)
あんこさんの書くものは、私にとって結構な割合でそういうものが多い。
だから良い意味で 注意して 読んでいる。
自分の心の状態やタイミングをよく観察して
うん、今なら大丈夫!と思った時に読むようにしている。


最近の心に刺さった言葉

『 サイコロを振ってもらう 』



なぜ黙るのか、私には分かる。
わたしたちは、ドリちゃんにサイコロを振ってもらっていたんだ。
自分達で決めずに、ドリちゃんに任せて、なりゆきを見ていたんだ。
もしかしたら、怖くなるかも。希望を持てるかも。強くなれるかも。
そんな想いでドリちゃんと一緒に戦ってた。
でも、この世界を出ていく段になって、急に怖くなった。
頑張った、でもできなかった、って自分に言いたいがために、
ドリちゃんを使った。利用したんだ。

夢見る猫は、しっぽで笑う。(結・後篇)



なんでこんな言葉を、このお話で持ってくるのだろう。
このお話はものすごい合作の、世界観も物語も何もかもがフルマックスの、超スペクタブルファンタジー作品なのにも関わらず(書いていて、もはや意味不明だけど。とにかく凄いってこと!笑)、たったの11文字がちょこんと私の側にぽこっと置かれて、張り付いて離れない。
大体あんこさんの言葉ってそういうものが多い。
さりげなく ぽこっ と静かに置かれていくもの。


このお話を読んだ時、私はnoteをお休みしようかなと決めた頃だった。
自分ひとりで出来ること を始めたかった。
私の判断で、私の決断で、良いも悪いも、その結果も全て自分ひとりで受け止められるもの。誰かのせいにしたり、言い訳したり、しないもの。
そのかわり、自分の思うままの気持ちで、思うように表現していける。
自営業が長く、ものづくりを生業として、あまりにも変化がないままに月日が流れ、勝手に役割とか気持ちとか想いとか、こうはこうであるべきと、どこかで決定事項のようになって変わらなかったこと。

その壁をぶち破ってみたくなった。

固まってしまった私の、私たちのスタイルの中で、確実に結果として私は
『大事な決断や判断のサイコロを彼に振ってもらっていた』
ずっとそんな気がしてならなかった。

そしてそれはとても悔しいことだった。自分が駄目な人間なんだと思った。
私じゃなくてもいい。認めるのがただただ怖かった。
それに気がついて、ぶち破ろうと何かを掴みたいと、そう思っていた矢先のあの言葉だった。

こんなタイミングかぁ〜、やられたゼと小さく笑った。
まったくこれだから・・・。

人から見たら ちっぽけな話 なのかもしれない。
でも長年の習慣って恐ろしい。まるで魔術にかかったかのように、すっかり自分の強みや得意なことや好きとか良いとか、分からなくなってしまう。
まぁ、これも人によるし、私のことなんだけど。

こんな風に書いていても、普通に出来ることはあって(多分ね)
結局は どんな自分でいたいのか と言うことなんだと思うのだけれど。

まだその道の途中で、これからの道はどこへ繋がっているのか、
今はさっぱり分からない。
分からないけれど、ただただ闇雲に不安でしかなかった今までとは少し違う。
そんな気がする。そして今、それがコッソリと嬉しい。

noteをやって気が付いたことがいっぱいあって
美しい言葉やそれぞれの表現の個性、誰かの心を必ず癒すであろう文章や、頭から離れなくなる小説とか、本当にいろんなものがnoteには詰まっていて、そういうものでほんの一瞬、または数日、自分の心が変わるのを知った。共感したり、発見したり、改めて感じたり、そしてチクリと刺さったり。
私はそういう 気持ち を大事にしたいなと思っていて、自分がやりたい何かが誰かの心をほんの一瞬でも 心地よい方向に 動かせたらいいなと、実は密かに本気で思っている。


こういうのを書くと長くなってしまうのだな。笑

戻ってきたよ!というには微妙なところだけれど、
短文を書く程度ならいいかなと思い始めた長月。
私にとっては言葉も、とても大事なものだから。

ということで、また不定期に書きにきます。笑










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