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個人差


私は自分をHSPとは思っていなくて
その傾向があるのとそれなのとは
誰がどう判断するのか謎

自分が自覚したらそうなのか
何者かが診断したらそうなのか
というより
そんな事を考えている時点で
自分がそれでは無いと思うのが
私の見解



最近みた漫画で
これに近いものがあって
HSPと名付けなくても
きっと皆んな個々に似たような部分は少しずつあって
それがいっぱいあって
この世の中では生きにくい人
っていう人が中にはいて

そういう人の心持ちや辛さを思うと
いやいや、私なんて全然、、、
と思うところが
その漫画の彼女と似ているなと思った

その漫画の救いは
彼女を好きになる男の人も
いろんな過去があって
そこをちゃんと見てあげられるってこと
誰もいないのと誰かいるのとでは
全然違う



たまたま偶然観たドラマ
瀬戸康史君と上野樹里ちゃんの
「私小説」というスペシャルドラマ

発達障害を抱える夫と
彼に寄り添い続ける妻の純愛物語
という内容なんだけれども
私の天邪鬼な見解から言えば
微妙な表現だなとも思う

ドラマは良かった、とても
要約した紹介の文字が気になった
まぁ短文で書いたらこうなるかとも
思うけれども

上手く言えないけれど
彼の世界を見せてもらえて
樹里ちゃんが感じられるのは
一緒にいるからで
寄り添い続けるってあるけれど
彼女はそれを望んでいて
プラスマイナスありながらも
そのプラスを大事に見てるんだよね

まぁいいか
寄り添い続ける に引っ掛かるのも
私っぽいな 笑

だってさ
「普通はこう」とか
「普通はみんな出来ること」とか
「そうしないと社会は回らない」とか
言うけれど、言うけれども
果たしてそれは正しいのかって思う

全く理解できないわけではない
けれども最近はこういうことをよく思う

いろんな事を思ったけれど
その中で樹里ちゃんが言う台詞で
「ジンの世界は楽しくて優しいの」
というものがあって
それがとても深かった

他のドラマでも
又吉さん演じる詩人の男性の生き方
あれもよくわかるなぁと思う

そうなんだよね
それぞれがそれぞれに個性があって
それまでに生きてきた経緯があって
そうでしか生きられない
ってあると思う、というか
あると断言したい

その苦しさは
本人にしか分からないもので
でも誰か理解してくれる人がいると
それは素晴らしいことで
苦しさは相変わらずでも
大小あれども救いだと思う

でも逆に

その人の世界だから見えること
美しいこと
楽しいこと
素晴らしいこと
が沢山あって
それってとても大事なことだ
って思うんだよね

そういう人たちが生きやすい世の中
ただの綺麗事でも理想論でもなく


何かのレッテルが無いと許されない世の中
それによって人の信用度が決まってしまう世の中
全て一括りの
皆んな同じじゃなきゃいけないような世の中
そういうの、もうやめないかなと思う


誰が決めた普通なんだ
誰が決めた皆んななんだ
誰が決めたルールなんだ

それって 幸せ なのか
って、逆に普通に思うよ、私は





という
自分の思いを残しとこうという
ただの覚書。

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