「いい年して」と言わないで

私がnoteを始めたきっかけはKojiさんだった。


このnoteという世界で偶然出会ったKojiさんに
私が抱いている感情はここには書かないけれど
そのKojiさんが先日、こんなテーマで記事を書いていた。

そう、Kojiさんは「若い」のだ。
その言葉にこれほど敏感に反応してしまう彼女を形容する言葉のあれやこれやもいくつも書いてしまいそうだけど、それもここでは書かない。


私は彼女よりもかなり長く、この地球上に存在している。
本当にただ、それだけのこと。
それ以上でもそれ以下でもない。


この世の中には驚くほどに「自分ポジション」でしかものを見ない人がいる。しかもたちの悪いことに「今の自分ポジション」だからどうしたってその人都合の考え方でしかない。
ただKojiさんよりも長く存在してきた私からすれば、そんなものは無視しとけばいい。年上だろうと年下だろうと、自分が欲する相手の「経験」や「価値観」は吸収したいと思うし、感慨深いことも多いし、勉強になる。そうでないものはスルーするしかない。気にしなくていいよと。


Kojiさんと同じくらいの歳の頃の私は、仲間と始めた古着屋を1年ちょっとで閉店させて、借金も抱え、さぁ、これからどう生きていこうか?という時だった。全くの勢いだけの「若気の至り」だ。これについては誰に言われようとも首を縦に振るしかないと自覚している。
ただ、止めた後も全く危機感が薄かった。今の相方と2人で、何を思ったかサンダルを作り始めた。木を削ってソール部分を作って、アッパー部分に革を使いたくて、吉祥寺のユザワヤで柔らかな手触りのいい本革を買った。その革が余ったので、自分用にショルダーバッグを作った。そのバッグを持って、店の売れ残りの古着をひたすらフリーマーケットで売った。フリマでいつも「このバッグは売り物じゃないんですか」と聞かれ、それがきっかけでバッグを作ってインターネットで売り始めたのが1997年。そうやって今の仕事に繋がっている。

今の自分のまま過去に戻れたら、また違った選択をしただろうと思う。もっとも戻れる範囲によっては、今とは全然違った道を歩んだと思う。戻れることもなく、歳を重ねてあるものといえば、自分が経験した「経験値」でしかない。


若いから出来ることってなんだろうって考えてみたんだけど、「やり直しがきく」とかは、幾つになったって上手くいかなきゃやり直すしかないし、まぁ身体のこととか、出産とか、そういうのはある程度あるけど、他は何かなぁ。

ただ、思うことや感じる事は良くも悪くもその歳にしかない事もあるにはあって、でもそれはやっぱり幾つになってもその人それぞれであるんだと思うんだよね。あんまりにも年齢で区切ってしまうのは違うのかなぁと。

「若い」っていうのは誰にでもある通過点で、それは先に待つ「老い」も同じだと思う。Kojiさんの文章や想いはとても深くて、私がここでその全てを書くことは到底出来ないのだけれど、Kojiさんの思うように「今を「すべて」としている私」で正解なんじゃないかなと思う。そしてそれは今後も変わらないんじゃないかなと思う。

いやいや、Kojiさんはもっと悩んでもいいし、何かを決意したり、思ったり、考えていいんだと思う。それはKojiさんに限らず、みんながそうだと思うから。どの年齢でも同じなんだと、きっと気付く時が来る。それは自分が「若くないな」と思った時かな。それでいいのだと思う。

逆に若い人から見て、私なんて「いい年して」と言われてしまうことが炸裂だ。頼むからそれは言わないで。「いい年して」は私のような年齢だけじゃなくて、どの年齢でも言われてしまうことだけど、この言葉は全くもって不要な言葉だと思うんだよね。
「誰基準の『いい年』」なんだって話。別にいいじゃない?
自分が思う分にはいいけど、他人様に言われる筋合いは無い。

いくつになってもKojiさんの言葉にあるように
「今を「すべて」としている私」でありたいと思うのであります。


おわり

追伸:Kojiさんの記事を拝見して、コメント書こうかなと思ったけど
何度も書き直して「ダメだこりゃ」となったので、自分の記事になりました。全くKojiさんへのお返事にもなっていない、ただ「若い」とか「年」とか、そういうテーマの文章になってしまいました。
きっかけをいただいた、、、ということで。
Kojiさん、ごめんなさいね。


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