見出し画像

じぶんよがり



自分よがりな行動かどうか、それは分からない。
良かれと思ってやったことが相手にとっては違うこともある。

正解は何?
答えは「何もしないこと」。

そうかな、そうなのかな?
私は嫌だ。
そんな思考で生きていくことは
断固反対だ。

最近、うたたネさんを見つけた。
彼の考えの中に、今の私が求めている沢山の「ヒント」がある。
とても心に響く文章が多く、私の秘密のマガジン(非公開)に入っている。





東京時代に埼京線で埼玉アリーナに向かう途中の電車の中。
白い杖をついた男性がいた。
夕方で、中途半端に人がいて、男性は吊革に捕まるでもなく、手すりに捕まるでもなく、自らの脚で立っていた。

私はいつもの、電車に乗るときの定位置、ドア付近に立っていた。

電車が何度か大きく揺れた。
その度にその男性の身体も大きく揺らめいた。

私はあまり考えずに行動に移したと思う。
男性に「宜しかったら私に掴まりませんか?」と声を掛けた。
男性はとても穏やかに少し笑みをたたえて「ありがとう」と言って手を伸ばしてくれた。

しばらくゴットンゴットンと電車は揺れたが、男性は私と繋がって、
少しは揺れていたけれど、大きくフラフラ、おっとっと、、、となることはなくなった。

私が降りる駅が近づいた。

男性に「私は次の駅で降りますが、大丈夫ですか?」と尋ねると、「親切にしてくれてありがとうございました」と言ってくださった。
開閉する入り口付近の手すりに誘導しかけた時、シルバーシートに座っていた初老の男性が気が付いて「あとは私が、、、」と言ってくださった。自分の席を譲ってくれて、その男性はシートに座ることができた。

それを見届けて、私は電車から降りた。


もしかしたら私の行動は要らないものだったのかもしれない。
目の見えない男性の気持ちや心はどうだったろう。
その男性には「日常茶飯事」なのかもしれない。

それでもその男性は温かい言葉を私にかけてくださった。
「ありがとう」
私と彼との間にしか、分からないことだけれど
二人で繋がってゴトンゴトンと電車が揺れるリズムは
ちょっとだけ温かいものだったと思う。
私はそれを経験させてもらえて、変な言い方だけれど感謝している。
私の気持ちを受け入れてくれた、彼の温かい気持ち。

そのあと初老の男性が快く行動に移してくれたことも
私の中に温かいものを残してくれた。


こういうことが何度かある。


東京時代、自転車で買い物に行く途中、目の前で猫が轢かれた。
とてもショッキングな出来事で、私も足がすくんでしまった。
車から降りてきた中年男性は慌てふためいて、猫に近づいた。
私はそこを立ち去ることが出来ずに、男性とともに猫に近づいた。

もう消えそうな命。助かりそうもない。

男性はちょっとパニック状態で、携帯で息子さんを呼んでいた。
「気を付けていたんだけど、まさか戻ってくるとは思わなくて、、、」
「僕も猫が好きだから、気を付けていたのに、、、」と
後悔とショックを隠せない様子で、
私は「おじさんは悪くないです。」と言うのが精一杯だった。

男性は車から毛布を持ってきて猫を包み、猫に話しかけていた。
何度も何度も「ごめんね、申し訳なかったね」と。
そして一緒にその息子さんが来るのを待った。
息子さんが到着して、車に猫を積み、持ってきた水で流れた血を洗った。


「貴女がいてくれて良かった。本当にありがとう」と言ってくださった。
男性と息子さんにお礼を言われ、私は「本当におじさんは悪くなかったです。どうぞお気を落とされないように」と伝えてその場を後にした。
私は買い物には行けず、自転車で引き返し、家で泣いた。


そのあと暫くはその優しい男性の気持ちが沈んでいるのだろうなと、
どうかこの悲しい事故による心の辛さから開放されますようにと
そう願った。





私のとった行動は「自己満足」の「自分よがり」だったのだろうか。
いや、それでも構わない。
私が経験させてもらったこと。
いつか私も同じようなシーンで誰かに助けてもらうかもしれない。
同じように一緒に寄り添ってもらうことがあるかもしれない。
それがその人の「自分よがり」であっても、私はきっと救われる。





うたたネさんの『死ぬということ、 生きるということ。 』にある


生きること、それは他人に迷惑をかけることです。
迷惑をかけてかけられ、そうして絡まり合うお互いの人生を受け入れることが生きるということだと思います。


という言葉。

こんなにもシンプルな、さり気ない言葉。
でも今の私にとってはとても力強い、気持ちの入った言葉。
最初、読んだときに「あああああああああああああーーー」となった。
今、私が欲しているものに、一番寄り添っている言葉。
この3行の言葉に、大袈裟かもしれないけれど
私は色んなことを感じている。
何ヶ月も考えていることなんだけど、
そしてやっぱり言葉には出来ないのだけれど、なにかが見えてきた、
気がする。



私はこれからも「自分よがり」に生きていくと思う。
沢山の「他人様の好意」と「他人様の自分よがり」にも
感謝しながら。


※「自分よがり」って(独り善がり)「周囲を顧慮せずに自分の都合や損得のみで物事を考えること」という言葉だって分かっているのですが、ちょうどいい表現を見つけられなかったので(笑)。














この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?