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相手の気持ちを思い遣る ということ


私は自分でも呆れるくらいに
感情的になったり、深く考え過ぎてしまったり
不器用でバランスの悪い人間だなと思う。


それは全て正直に書けば
「常に自分の中で 自分が大事と思う想いや考え を比較的冷静に(私自身の主観でしかないが)感じていて、それを突発的ではないように、自問自答した上で出している行動や言葉」だと思っているのだけれど、大体が自分に跳ね返ってくることが多く、そんな自分を残念に思うことも少なくない。

相手の思い遣りの気持ちや配慮や心遣いを感じると、その気持ちが純粋に嬉しくて有り難くて、それに感謝する気持ちと共に行動でも言葉でも応えなくてはと思う。
殆どの場合はそれで大丈夫だと思う。
でも。
時に自分の 大事と思うところ と大きく乖離した相手の好意 というものに出会ったとき、それに上手に向かうことが得意ではない。


具体的な内容を書こうとして止まったまま、数日が経ち。
具体的過ぎると思って、こうして書き直す。


誰かの好意 をそのままに受けることによって、他の誰かにとってそれが不利益とまではいかないまでも、いい方向ではない場合。
私自身はそうしたいわけでもないから、他の誰かに譲っても全然構わないような状況でも尚、その 誰かの好意 によって、私自身の思いとは違った行動を取らないといけないような時。

二重に我慢しているような、そんな気持ちになる。

そもそも私は自分のことを大袈裟なのだと思っている。だからきっと必要以上に感謝したり、こちらに向けてくれた好意に対して反応が過剰になっているのだろうと。あくまでも自己分析。

今回の ある出来事 は私にとっては 大きな出来事 で、それは他の人からしたら 些細なこと なのかもしれないのだけれど。
その 自分の不器用でどうしようもないところ をどう扱ったらいいのかが分からなくて、子供みたいに泣きながら姉に想いを語った。

そうしたら、姉はそっと左手で私の腕を持ち、姉の全部 で私に言葉を伝えてくれた。

そんなに思わなくていい。そんなにしほちゃんの全部で、相手のことを思わなくていい。みんな、そんなに誰もが相手の気持ちをそこまで思っていないから。そんなに深いところまで行かなくても大丈夫だから。

ちゃんと私に届くように。
何度も何度も繰り返し、私に言い聞かせてくれた。
私は私の姉がこの人で良かったと、心から思った。

家に帰る途中、新幹線の中からLINEで
今日は本当にありがとう
とメッセージを送った。

そうしたらこう返信が来た。

しほちゃんは真剣に生きてるんだなぁって思う。
○○さん(相方)もある意味そうなんだと。2人とも真剣に向き合うが故に生きづらいことが出てくるし、思いやる気持ちが強いから世間が取り繕って薄く?っていうか軽くかわしてるとこにつまずいたり、引っかかってしまうことがあるんだろうなぁと思う。
だから私からすると、凄いなぁ〜と感心するんだよ。笑

だから、重くなりそうな時は、まず皆んなそんなに思ってない!と思って流しても大丈夫。流せることは…だけれど。
大丈夫。

最強に嬉しい言葉だった。
もう、誰にでも分かってもらえなくてもいいと思えた。
分かってくれる人に、分かってほしい人にだけ分かってもらえればいい。
本当にそうだ。

きっと、そんな人は沢山は要らなくて
自分の生き方や姿勢や大事にしているものを
ちゃんと分かってくれる人がひとりでもいれば充分なんだと思う。
その人に恥じないような生き方をしたい、そう思う。


どうしようもなく、生きることにつまづきやすい人に。
なかなか上手に生きられないなと感じている人に。
私たちはつまづきながら、ぶつかりながら、傷ついたり泣いたり、苦しかったりするけれど、それでもその陰の反対側にある陽の部分は、より美しく感じることも出来ると信じている。
そしてきっとどこかに分かってくれる人がいる。
常に上手にバランスなんてとれないけれど
それでもきっと得られるものもいっぱいあるから、焦らずにいこう。


と、どこかにいる、自分と似たような人に。
私が思うにはいくつになってもこんなふうにグルグルと迷ってぶつかって生きてるんだなぁって。
ああ、自分だけじゃないなと思ってもらえたら。

今回の1番の目的は私の覚書ということで。笑








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