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浅野ちゃん


今日の海は昨日とは打って変わってとても穏やか。
視界の最右に見える利島から最左に見える房総半島の先っぽの間に行き交う船の数は25隻。なかなか30以上をカウントできないのはいつものこと。

私は昔からとにかく手や足の先が冷たくて、それは子供の頃からで。先日もあんまりにも冷たくて、相方が座っている時に膝の下に自分の裸足の足を潜り込ませて、相手の熱をぐんぐんと奪っていった。「人の熱を吸収して暖をとる女」。

昨日の夜も深夜にすっかり手足が冷たくなって、布団に入れている2つの湯たんぽに手と足をピッタリくっつけて温まろうとしたら、みるみる湯たんぽたちが冷たくなっていって、寝る前にはすっかり緩くなってしまった。

冬になるといつも思い出す子がいる。
浅野ちゃんという女の子。小学校で隣のクラスだった子だ。
私は小学校は出戻りで、小2の3学期に転校してきて、小4になる前に引っ越していって、そして同じ学校に小6で戻ってきた。学校の配慮で同じクラスへと出戻りしたのだった。
戻ってきた時はなんとなく居心地が悪くって、それでもみんなが5年生から始めていた金管バンド(楽器を演奏するクラブみたいなもの)や合唱部に入りたくて、一生懸命に練習をした。金管バンドはたまたま引っ越してしまう子がいたので、その子の代わりはトロンボーンだったのだけれど、毎日のようにマウスピースを持ち帰って、必死に練習をしてテストを受けて、なんとか仲間入りすることができた。

合唱部は入りたいと言えば入れるような状態だった。私は自分ではソプラノがいいなと思っていたのだけれど(主旋律が歌えるからね)、まさかのアルトだった。ピアノが弾ける音楽に精通した車椅子のてっちゃんという男の子曰く、「どこのパートを希望するかって先生に聞かれてソプラノって言ったことがすごく印象に残ってて。だって、どう聞いたってアルトでしかないのに」って、24歳くらいになって2人で新宿にご飯を食べにいった時に笑われた。てっちゃんはずーっと私を好きでいてくれた男の子だった。そんな事をよく覚えていたなぁ〜と思った事を、今でも私はとてもよく覚えている。

私はアルトに決まってしまって、その同じパートの中に浅野ちゃんはいた。隣のクラスの少し真面目な女の子。
冬の寒い講堂や音楽室で、私はよく浅野ちゃんの熱を吸収して暖を取っていた。冷たい冷たいと言いながら、浅野ちゃんは笑ってそれを許してくれていた。浅野ちゃんは温かかった。腕が冷えてきたらふくらはぎを貸してくれた。私はそうやって寒さを凌いでいたけれど、最近、本当は嫌だったんじゃないかなって思ったりする。だって凄い勢いで自分の熱が吸収されていってしまうなんて。相方だって私に熱を奪われて寒がっているもの。湯たんぽを見て実感したけれど、こんなにぐんぐん熱を奪っていたなんて、自分でも驚きだったから。

いつかまた同窓会があったら浅野ちゃんに会って、その話をしてみよう。そしてごめんねとありがとうを伝えよう。
浅野ちゃんは覚えているかなぁ?どうかなぁ?




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